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明治の時計塔

24. 精工舎事務所棟(墨田区太平)

精工舎事務所塔ならびに工場の一部

時計塔の文字板径2m

復活、繁栄のシンボルであった時計塔

精工舎は明治26年現在の墨田区太平に工場を移転して発展してきたが、大正12年の関東大震災で全焼、壊滅的な被害を受けた。 しかし昭和に入るとすぐ隣接地の陸軍用地の払い下げを受け、工場の再建と拡張に乗り出した。 昭和3年3月には鉄筋コンクリート3階建7686uの懐中時計工場(東館)を竣工、 同5年3月には3階建、掛・置時計工場(西館)と四方に時計塔を持つ三階建の事務所棟を完成。 さらに昭和9年には南館(第二懐中時計工場)、12年には中央館(工作機械工場)と拡充が進んだ。

事務所棟は当時欧州で流行したモダンなインターナショナル形式で時計塔を中心に左右対称に建物が広がり、 上部が丸くアーチを描いたアールデコ調の窓が近代工場の玄関らしく彩どりを添えていた。 当時の錦糸町界隈の建築物はほとんどが木造家屋だったため、その中に白くそびえ立つ時計塔は地域のシンボルにもなっていた。

工場も当時では画期的なコンクリート建ての最先端の建物で、内部は端から端まで仕切りのないワンフロアーの構造、 組み立て工場では湿気を遮断するために二重扉装置まで備えつけられて時代の最先端を走る建物であったという。 この工場から数々の名作が生まれていったが、昭和36年に茨城県石岡市に新工場が出来、 その後工作組み立て部門も徐々に地方に移転して、最後は特注の大型時計の組み立て部門だけが残り他の施設は研究棟となった。

精工舎 平面図

1988年

セイコー時計資料館へ、・・・そして解体

博物館めぐり39-セイコー時計資料館 より

時計塔のある事務所棟は昭和52年に新館ができたのを契機に56年セイコー時計資料館に生まれ変わり、 以後工場がその役目を終えるまで各種資料が一般公開されていた。 (セイコー時計資料館は現在、墨田区東向島3に移転している) 時計塔の機械はドイツ製重錘式であったが、平成7年に最新の水晶式に変更となり、世界最大級の時計工場としての保存が期待されたが、 平成9年に工場が閉鎖となり、平成13年に東京都都市計画が決定、 再開発により、錦糸町のランドマークとして親しまれてきた精工舎は平成14年(2002年)おしくも解体された。

参考文献:建築懐古録―精工舎 読売新聞都民版 1988年2月18日
時計工業の発達 内田星美 セイコーライブラリー

読売新聞都民版 1988年2月18日 より

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