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明治の時計塔

12. 州崎遊郭

東京名所 州崎遊郭之遠望 明治三十五年

東京名所 州崎遊郭之遠望

明治三十五年三月十日印刷、同年同月十五日発行画作兼印刷
発行者東京市日本橋区馬喰町三丁目四番地渡邊忠久
《 個人蔵 》

浜風に涼むお姉さんと、満月に浮かび上がる二つの時計塔!

東京名所と題された、当時観光土産代りに人気の有った明治石版画です。

塔時計は、特に時計店の看板として注目されていましたが、もう一つの花形は、当時の社交場として賑わった遊郭でした。 新しい情報が集散し、財力があり、時間管理に関心の高い遊郭に、西洋の正確な時計が導入されたのは極当然の事だったのでしょう。 岩亀楼に続いて明治17年には東京の新吉原遊郭の角海老楼、 そして明冶22年の州崎遊郭の八幡楼に設置された時計塔は市中の名物的存在でした。

州崎遊郭は明治5年頃、新吉原遊郭と共に東京市内に許された三つの遊郭の一つの本郷根津遊郭を移転したもので、その開始は明治21年です。 その中で第一の大楼であった八幡楼は建築及び庭園の雄大さをもって鳴り、その点では市中の妓楼中、右に出るものは無かったといわれ、 その名物的名声と共に櫓時計型時計塔も市中に知れ渡っていました。
機械はファブルの輸入した外国製とおもわれ、文字板径5尺、時打付、その音はややかん高かったといいます。 夜間は文字板周囲に灯火を灯したから灯台代わりの目標にも成りました。
しかし、大正3年頃漏電に起因する火災で25年にも長きにわたって親しまれてきた時計塔は焼失してしまいました。

右手海岸端に見えるのが八幡楼時計塔であり、左手に見えるのが甲子楼時計塔です。 この甲子楼時計塔は明治35,6年以前に暴風雨で倒壊したため新甲子楼時計塔が作られています。その新旧どちらかは不明ですが、 平野光雄さんの時計塔記には詳細不明となっていますし、図版も未載のものですので資料的にも大変珍しいと思います。 このように至近距離に大きな時計塔が二つ見える光景も壮観で類例を見ません。

州崎遊郭 明治二十四年

州崎遊郭 VIEW of SUZAKI YUKAKU

19.5×13.5cm
明治二十四年九月二十日印刷
明治二十四年九月二十二日出版
画作兼印刷発行人 日本橋区
馬喰町三丁目四番地 渡辺忠久
《 個人蔵 》

左の塔屋は、事務所兼病院棟、甲子楼の時計塔はお姉さんの後方にあたります。

八幡楼時計塔の写真

洲崎遊郭「八幡楼」

17×17cm、明治20年代(推定)
《 個人蔵 》

鶏卵紙という古いタイプの印画紙に焼かれた生写真です。 写真が古いタイプの生写真である事と東京時計塔記の写真と比べると表の植栽が少しさびいので、 時代は出来て間もなくの頃、明治20年代ではないかと思います。

参考文献

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