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明治の時計塔

18. 第一高等学校時計塔

第一高等学校時計塔

明治末期

第一高等学校の歴史は古く、遠く東京大学の前身、東京開成学校に端を発している。 同校の母体となった開成所(旧徳川幕府直轄の洋書翻訳研究機関)では、明治2年に始めて英仏語学科を置き、ついで独語学科も設けたが、 同6年東京外国語学校に統合されさらに翌年その中の英語科を分離した東京英語学校が独立したのが一高の濫觴である。 そして、明治10年東京大学の開設と同時に東京英語学校は大学予備門と改称され、東大の予科に定められた。 のち、同19年第一中学校、同27年第一高等学校と改められている。 大学予備門時代の一高は校舎に東大法・理・文三学部建物の一部を使用していたが、 明治22年、かって水戸藩邸であった本郷区向ヶ丘弥生町二番地(現在の東京大農学部キャンパスの位置)、約二万一千坪の敷地に新校舎が落成するとともに移転した。

本郷通りにのぞむ表門を入り、正面に建っていた二階建煉瓦造りの本館には、半円形の鐘塔をもつ、古代欧州製置時計型の時計塔が設置されていた。 建物の設計は文部省建築課長山口半六(やまぐちはんろく 1858 - 1900年)であるが時計塔機械は外国製と思われ、ローマ数字の文字板直径五尺、時打ち付であった。 その後33年もの長きにわたり時を刻んでいたが、大正12年(1923)関東大震災に被災してその後まもなく時計は取り外され、建物も爆破の上取り壊された。

参考文献 「明治・東京時計塔記」平野光雄著
(昭和43年6月10日発行、明啓社刊 - 改訂増補1000部限定)

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