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明治の時計塔

2. 竹橋陣営時計塔

東京真画名所図鑑:「竹橋内」

井上 安治(1864〜1889)
《 個人蔵 》

竹橋(たけばし)陣営時計塔

東京における時計塔の中で最も古く、かつ長く存続したのが、現在は北の丸公園となっている場所にあった近衛(このえ)第1,2 師団の竹橋陣営の時計塔である。 明治3 年に起工され、明治7 年に竣工している。時計塔は明治4 年に竣工した兵舎の屋上に屹立しており、その形式はその後の多くの時計塔に踏襲された。

近衛兵は普通の兵とは違って、常に天皇を守ることを任務としており、 そのために全国の兵隊の中から健康で生活の正しい優れた兵を選んで組織していたが、 その近衛砲兵が反乱を起こした竹橋事件(明治11年)は、当時の大事件のひとつに数えられている。

近衛歩兵第一旅団

明治44 年

この賀状(明治44 年)で全体の配置と時計塔の位置が良く分かる。 井上 安治の「竹橋内」とは、四角い陣営と時計塔を描いたもので、その前面にある建物は省略したか建てられていなかったと思われる。 下辺の中央の銅像は「故北白川宮殿下銅像」とあり、北白川宮能久親王である。経歴は、1870 年(明治3 年)にドイツに留学。 1872 年に北白川宮を相続し、1877 年(明治10 年)に帰国した。 帰国後は陸軍に勤務。 陸軍中将にまで進む。 日清戦争では近衛師団長として出征。戦後、台湾守備の命令を受け、台湾征討軍の指揮にあたったが、1895 年(明治28 年)、現地で戦病死した。 享年49。井上安治が描いた時は、この銅像は存在しなかった。

明治25 年「新撰東京全図」

赤丸が時計塔の位置で、前の二つの建物が「近衛歩兵第一指令」であることが分かる。

絵葉書

大東京) 近衛歩兵一二聨隊

これらの建物は戦火を免れたが、1946 年(昭和21 年)に東京特別都市計画によって皇居周辺の緑地として整備されることが決定され、 昭和30 年代後半に旧近衛連隊等の多くの建物を撒去。 1963 年(昭和38 年)に建設省が森林公園として整備を開始し、1969 年(昭和44 年)に昭和天皇の還暦を記念して開園、一般公開され、 現在では「北の丸公園」となっている。 明治43 年に建設された近衛師団司令部庁舎(年賀状にある左手前の建物の位置に再建された?)が、国立近代美術館・工芸館として現存する。

井上 安治

井上 安治の師である小林清親は英人画家ワグナーに師事し、従来の浮世絵が遠近法に時として破綻が見えたのに対して、 正確な遠近法と光の陰影を取り入れた西洋画的な浮世絵を制作し、井上安治とともに「光線画」と呼ばれ、 浮世絵画壇の「風雲児」として人気を博した。 井上安治は風俗画に転向してからは「探景」と画号を変えたが、25 歳にして夭折している。本名は「安治郎」で、「安二」等の落款もある。

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