21. 慶応義塾大学 図書館時計塔
落成間近の図書館(時計はまだ入らず)
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創立50周年記念で建設された大図書館
福沢諭吉は安政5年(1858年)小さな蘭学塾を築地鉄砲洲に開設し、
慶応4年(明治元年)に初めて慶応義塾と称し明治4年に現在地に移転した。
明治23年に大学部を新設し、その後の発展は余人の知るところであるが、明治40年4月には創立50周年記念祝典を盛大に挙行し、
その記念事業として大図書館を建設することとなり、三田山上の構内の一隅に明治42年6月起工、同45年4月に竣工した。
設計者は工学博士曾禰達蔵及び同中条精一郎、戸田組の施工になり、 地階とも三階建(一部四階、書庫は六階建)の赤煉瓦と花崗岩の壮麗な純ゴシック様式建築で、 その左の書庫の屋根、切妻中央に一面文字板の美しい洋風時計塔が設置された。 (さらに昭和2年7月には同様式の書庫が既設の書庫の左隣へ増築された)
英国製重錘時計の時計塔
時計塔は面板直径5尺で比較的簡素な英国製重錘時計で時打装置は無かった。
(この時計機械は同大卒業生の銀座、天賞堂二代目江澤金五郎の寄贈)
文字板は美術学校、沼田一雅教授の作で、
花崗岩の外輪の中に嵌め込まれたフランス、セーブル技法の陶製表時盤は藍色地に白で花模様を線描きにし、
12枚の花弁にはそれぞれ数字の代わりにラテン語で「Tempus Fugit」(時は過ぎゆく=光陰矢の如)との白色花文字を現わしている。
スペルのTは1時から始まり、最後の文字が11時で終り、12時は模様、指針は金色の飾り剣である。
それらが気高く美しく渾然とまとまり、白い張石とさびた朱色の煉瓦をよそおう三角形の切妻に映え、
右端の60尺余の八角塔とともに、素晴らしい構成美と色彩美を見せている、東京に残されたゴシック建築の代表である。
参考文献 明治東京時計塔記、平野光雄著
図書館開館記念
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明治45年5月18日記念図書館の開館式を大閲覧室で催した、その記念絵葉書。 図書館の内装も外観にふさわしく、モダンで重厚な様子が垣間見える。
大正期の図書館
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その後、時計は明治、大正、昭和と時を刻んでいたが、昭和20年5月25日の東京大空襲で時計塔の機械を含む一部建物が焼失した。 幸い文字板だけは奇跡的に無事で、図書館の全般的な改修は昭和24年に終わったが、時計塔は遅れて昭和28年2月中旬に至り、 ようやく雄工舎製電気時計を取り付け復活した。
図書館は70年余の歳月をへて、昭和57年に新館、平成17年に南館図書室がオープンし、 国の重要文化財に指定された時計塔図書館は旧館と呼ばれ主に洋書や和古書を収蔵している。
Tempus Fugit(※1)と書かれた時計塔文字板は、 同図書館入り口ホール階段上を飾る「ペンは剣より強し」とラテン語で記されたステンドグラスとともに慶応義塾の建学の精神になっている。
(※1)Tempus Fugit (テンプス・フギト)
ラテン語でTempusは時、Fugitは逃げる、英語のTime fliesにあたり「時は過ぎゆく」とか、
意訳され「光陰矢の如し」などと訳されている。(Time flies like an arrow)
Tempus Fugit はローマの詩人ウエルギリウスの農耕詩にみられる言葉で、
時に関連した格言として有名で時計によく使われている。
似たような言葉に中国では中唐の詩人の李益の「光陰如箭」が有る。箭は矢のこと。 また以下の諺も似たような意味で使われ有名で、出典は朱熹(朱子)の「偶成」という漢詩だとされていたが異論が多い。
- 少年易老学難成 (しょうねんおいやすく がくなりがたし)
- 一寸光陰不可軽 (いっすんのこういん かろんずべからず)
- 未覚池糖春草夢 (いまださめず ちとうしゅんそうのゆめ)
- 階前梧葉已秋声 (かいぜんのごよう すでにしゅうせい)
陶板画
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右下に作者のサインがありますが、読み取れません。 額の雰囲気から、それほど古いものではないと思いますが、昭和30〜40年代あたりでしょうか。 何かの記念品か?
記念切手
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図案は慶応義塾図書館と福沢像。 切手と初日カバー(FDC) - 昭和33年11月8日記念印です。
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