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明治の時計塔

3. 工学寮・工部大学校時計塔

工学寮

工学寮 虎ノ門

東京諸官省名所集
三代広重、明治9年5月29日 御届
版画全体を表示

この御寮は鉄道を敷き伝信機を拵ひ又○練化石で屋を造るをや其他百般奇妙不思議なる 芸能を書生輩におしえて授さてくださる

工学寮は欧米の工業技術を確立するのに必要な人材を養成するため、明治4年8月に工部省の一等寮として設立された。 竣工は明治6年12月、寮舎は虎ノ門の旧延岡藩邸にあった。 建物は時計塔を備えたゴシック式煉瓦館で、明治4年竣工の竹橋陣営の時計塔、 明治7年4月竣工の駅逓寮新庁舎の時計塔とともに東京の新名所となり、錦絵にも多く描かれた。

工部大学校

「東京開化狂画名所」

虎ノ門琴平神社 出生天狗 大天狗の鼻 ねじらんとす
明治十四年 月岡 芳年(1839〜1892)
《 個人蔵 》

工部大学時計塔

工学寮は明治10年に組織変更に伴い工部大学校になった。 この版画は明治14年に製作されたものであり、工部大学校時代のものである。 切妻中央(時計塔の下部前方)にも文字板が描かれているが、実際は花模様を装飾した石材の彫刻でありここには時計は存在しなかった。 版画作者の間違いである。

虎ノ門は江戸末期の「江戸名所図会」や初代広重の「名所江戸百景」等にも描かれた名所である。 神社は広重も描いている金刀比羅宮で、奥の院は天狗信仰で知られている。 明治2年の神仏分離令により「琴比羅宮」と一時期表記が変わり、これが現在の「琴平町」に名残として残っている。 工部大学校の博物館は、この金刀比羅宮と溜池から続く掘割を挟んで対岸に建っていた。

工部大学校は、さらに明治19年に帝国大学令により東京帝国大学工芸学部と合併して、東京帝国大学工科大学となる。 現在の東京大学工学部の前身である。

工部大学の位置

工部大学は水色部分

この狂画の意味は?

作者のみぞ知ることですが、それなりに推測してみます。

虎ノ門の地は、江戸時代は幕府の重臣達の居住区であった。 それが明治維新により、少し離れた井伊大老の屋敷跡が参謀本部となったように、薩長他の下級武士が政府の高官として闊歩するところとなった。 江戸町人は「鼻持ちならぬ」ことだったに違いなく、 その矛先を元日向延岡藩 内藤家の上屋敷跡に建てられた工部大学校に向けたと考えられる。

工部大学校の生活ぶりは至れり尽くせりだった。 制服、帽子などはすべて学生に支給。 靴下や靴、下着、ノートや鉛筆、製図用具など、必要な日用品は支給か貸与され、学生達は生活に窮することはなく、 煙草や散髪のためのみの私費を持っていれば事足りた。 正装はラシャ地で詰襟、前にボタンが付き、胸の両側に下までひだをとってあるもので、衣食住すべてが、官費によってまかなわれた。
また、工部大学校の建物はゴシック式レンガ造り二階建てで、館内の用具はすべて英国から輸入された舶来品だった。 「いままで破れた袴、粗末な羽織で、汚い下宿にいたり他人の家に厄介になっていたりしていた者が大多数だったところ、 いきなり官費生になり、上等の羅紗の制服を支給してもらい、昼はビフテキやシチューが出てくる洋食で、 夜は当時高価だった舶来の毛布を二枚もかけ、トイレの便器まで英国からの輸入品で、 館内もバイブラジエータを導入した蒸気暖房方法で部屋を暖めていて、きわめてハイカラだった」ということである。

この狂画は、厚遇な扱いの学生や政府の高官を捩って「出生天狗」とし、 その大天狗の鼻をねじらんとすることで、江戸っ子町民のウップンを表現した風刺画と見ましたが、如何でしょうか。

参考サイト  工部大学校資料 「工部大学校生の生活」から一部引用

月岡 芳年(つきおか よしとし)

天保10年3月17日(1839年4月30日) - 明治25年(1892年)6月9日

幕末から明治前期にかけての浮世絵師。本名は米次郎。一魁斎芳年、のちに大蘇芳年と号した。 「無残絵」「怪奇絵」等の独特の画風で知られるが、作画時期による画題の変遷は他に類をみない程に多岐に亘っている。 伝統的な歴史絵や美人画、役者絵なども手掛け特に「武者絵」は秀逸で、海外での評価が高い。 浮世絵が衰退してゆく時代に成功し「最後の浮世絵師」と言われている。 また、この絵にも見られるように一瞬の動作を描くことに長け、「劇画の先駆者」とも言われている。

本図には出版時期等の記載はないが、「東京開化狂画名所」シリーズの大半には以下の記載がある。 記載の無いものは1/3ほどあるが、芳年の画題は目まぐるしく変遷しており、複数年に亘るシリーズとは考え難く、明治十四年前後の作と思われる。

遠景に描かれた工部大学時計塔

東京名所之内 不忍池競馬之景

明治22年、作者;梅寿 国利

競馬の観覧席を正面にして、不忍池の全体を描いた錦絵です。 花火で打ち上げたのでしょうか、馬・傘・日の丸の小旗など色々な物が空に舞っています。

背景は、右から、

時計塔は、ちょっと形が違うような気がしますが、三角屋根が少し見えていることから東大工学部の時計塔と思われます。

東大工学部の時計塔か?

著作印刷 日本橋区吉川町五番地
発行者 堤 吉兵衛

競馬の観覧席(馬見所)

歌川 国利(1847〜1899)

三代豊国(初代国貞)門人で、没後四代豊国(二代国貞)に師事し、慶応年間から制作活動を始め、 名所風俗の開化絵やおもちゃ絵の他、銅版地図なども描いた。 画号が多く、国利の他に国登志、梅寿、梅翁、梅翁道人、楳樹邦年などがある。

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