20. 博品館勧工場時計塔
博品館勧工場の時計塔
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明治32年(1899)に開業した博品館勧工場は、明治時代に東京市内に在った著名な勧工場(※1)の一つ。 新橋橋際角地に建ち、煉瓦造り3階建の正面に向かって屋上左端にモダンなモスク風の鐘塔付きの時計塔が設置されていた。
建築は服部時計店を建築設計したアメリカ帰りの建築技師伊藤為吉の設計施工に成り、
東京名所にたびたび紹介された斬新な名物建築で有った。
この博品館の創業者は、神奈川県保土ヶ谷出身の鈴木万之助、善蔵の兄弟で明治初年に東京に移住して若松屋の屋号で洋傘製造販売店を創業し、
発展して当時流行の勧工場を持つようになった。
この時計塔は文字板4尺、時打ちはオルゴール(※2)の音楽を奏して後、時刻を報じたというから、いずれ舶来製で有ったと思われる。
時計は大正10年観工場から百貨店(株式会社博信商会)に増築工事の際に取り外されてしまった。
この盛業を極めた百貨店もいくばくもなく大正12年9月の震災で焼失してしまった。
(※1)勧工場(
百貨店、マーケットの前身。 明治11年1月、第1回内国勧業博覧会の残品処分のため、 東京府が、丸の内に竜ノ口(たつのくち)勧工場を開場したときに始まる。 日用雑貨、衣類などの良質商品が一ヶ所で定価販売されたので人気を得た。
(※2)時打ちはオルゴール
平野さんはオルゴールと書いているが、これの実態は(15分打ちの?)カリオンかチャイム打ちのようなものであったと思われる。
参考文献 明治東京時計塔記、平野光雄著
博品館の錦絵
新橋から銀座通は、日本のメインストリートでしたから、多くの東京名所、土産物の版画(錦絵)があり、 その中にも博品館の時計塔を見ることができます。
明治43年 新橋銀座通り博品館之図
左が博品館時計塔。
中央に洒落た自転車で犬を連れたモダン・ボーイ、右には編み笠の新聞売り等面白いです。
通りの奥には小さく服部時計店の塔も見えます。(丁度500m先)
新橋停車場の様子も描かれています。
- 明治43年2月5日
- 東京市日本橋区馬喰町二丁目十四番地 網島亀吉
新橋停車場は、明治5年に日本初の蒸気鉄道が新橋-横浜間に開通したのと同時に建てられましたが、関東大震災で消失しました。 平成15年に汐留再開発の一環で元の位置に復元され、「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」として公開されています。
大正3年 新橋より銀座通之光景
新橋と新橋橋際角地の博品館が描かれています。
- 大正3年3月20日印刷
- 同年同月25日発行
- 画作兼発行者 東京市下谷区北稲荷町43番地 黒木半之助
絵葉書
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博品館の向いに見えるエビスビールの看板は、明治32年に完成した恵比寿ビヤホール。 エビスビールの宣伝のために日本麦酒の馬越恭平のアイデアで建てられた日本初のビヤホールである。
博品館の年賀状
絵葉書写真右の上野広小路博品館は、明治41年(1908)に第2商品陳列所として新築開館したもの。 広小路の勧工場「帝国博品館」は昭和20年3月9日の空襲前まで東京に残ったただ一軒の勧工場で有った。
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