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明治の時計塔

16. 駅逓寮時計塔

四日市駅逓寮の時計塔

東京府下名所尽 四日市駅逓寮

三代広重筆
明治7年、木版色摺
(旗を掲揚している建物は第一国立銀行)
《 個人蔵 》

東京名所図絵 江戸橋駅逓局

三代広重筆
明治11年、木版色摺、34x23cm
《 個人蔵 》

東京名所之内 江戸橋三菱蔵郵便局」

画工:南紺屋町二十七番地 安藤徳兵エ
出版人:吉川丁五番地 堤吉兵エ
明治14年頃
《 個人蔵 》

四日市とは江戸橋近辺の地域名である。
郵便に関する役所としては、慶応4 年閏4 月21 日(明治元年・1868 年6 月11 日)に設置された交通通信担当官司・駅逓司が最初であるが、 明治4 年4 月20 日に駅逓司の前島密・杉浦譲らによって郵便制度が開始された。 同年民部省が大蔵省に統合されて8 月に駅逓寮に昇格した(明治10 年1 月の寮→局制の移行に伴い、駅逓局と改称)。

画題の駅逓寮新庁舎は、明治7年4月30日に竣工。 瓦葺き木造漆喰仕上げ二階建ての洋風建築である。 一面文字板の時計塔が正面入り口上部の切妻中央に設置されて、これが時を知らせ、東京名所の一つとなっていた。 時計は、ファブルブランド輸入の舶来製で、文字板の直径は四尺、時打ち装置は止められていたと伝えられている。

新事業の郵便と文明開化のシンボルとして脚光を浴びた四日市駅逓寮は、この他にも数多くの錦絵や名所図会にも取り上げられた。 しかし庁舎は明治21年2月の失火により、惜しくも時計もろとも焼失している。 現在、同地には中央区郵便局があり、「郵便発祥の地」とされ前島密の胸像がある。 江戸橋は現在は煉瓦の倉庫群の右側に架けられており、倉庫も「三菱倉庫」として現存している。

駅逓寮附近の地図

明治9年「明治東京地図」より

「駅逓寮」の東側、道路を挟んで川岸に「駅逓寮厩(えきていりょう・うまや)」があります。 輸送手段として馬が珍重されていた事が分かります。
【厩/馬屋/うまや】馬を飼っておく小屋。馬小屋。

初期の郵便局

木版画、明治21年10月刊、女用消息文、大野定子著より

明治20年代の地方郵便局の様子がうかがえる。
左に赤い郵便を運ぶ逓送車、郵便配達夫や郵便脚夫、ガス灯に電信柱が興味深い。右奥は小学校です。

電報配達夫

引札 電報配達

巨泉筆
明治36年、石版色摺、26x37cm

郵便、電報配達夫がスポーティーな自転車で格好よく決めています。 バックに時計塔やアーク灯、碍子の多い電信柱など当時の街並みが見て取れます。 明治36年の略歴と郵便料金表の早見が付いた正月用引札の傑作です。

初期の黒ポスト(団扇絵)

引札、木版、明治30年代

初期の黒ポストと郵便料金や郵便配達夫が描かれています。

絵葉書

通信事業創始五十年紀念

大正10年

中央に創設当時の「駅逓寮」の絵、馬に載った郵便配達人も載っています。郵便ポスト、旗も面白いです。

万国郵便連合加盟二十五季祝典紀念

「加盟当時の駅逓局」の写真があります。これは日本で最初の官製絵葉書です。 この時代は宛名面に通信文を書くことが禁止されいたので「空」部分に通信文を書いています。 明治40年に表の1/3、大正7年に半分が通信文を書いて良いスペースになりました。 宛名面には「郵便切手は此所に貼附すへし」とあります。

満五十周年記念

大正10年4月

小さいですが、駅逓局の写真が載っています。

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