11. 新吉原 角海老楼時計塔
東京名所シリーズ 明治34年
明治34年4月に発行された東京十二ヶ月と題された東京名所シリーズの版画の八月。 浅草新吉原遊郭の大門の賑わいと花魁が大きく描かれています。 鉄製門柱の上には文明開化を象徴するガス灯が灯っています。 その門柱のたもとに見える時計塔が角海老楼の時計塔です。
東京名所新吉原夜桜ノ図 明治20年
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仲之町のメインストリートに桜が満開で、左奥に角海老楼の時計塔があります。 春になると外から桜を運んできて一時仮植をしていたそうで、そのため根元を竹垣で覆っています。
角海老楼と東京名所の時計塔
樋口一葉の名作「たけくらべ」(明治27年)に 「朝夕の秋風身にしみ渡りて・・・角海老が時計の響きもそぞろ哀れの音を伝へるやうに成れば・・・」 と叙述が有るように当時八官町の小林時計店、外神田の大時計(京屋)と並んで角海老楼の時計塔は東京の名所としても有名でした。
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明治のはじめ吉原の安尾張楼に奉公してた宮沢平吉が角尾張楼の楼主となり、その後海老屋を買い取り京町一丁目二番地に 明治17年角海老楼と名付け約400坪の敷地へ木造3階建ての時計台付の大楼を建てました。 当時、角海老楼は大見世といい吉原一級の大楼で格式が高く庶民は近寄れなかったと記録に有ります。
時計は舶来製の機械で、太めの文字板枠に穴空き針、ローマ数字の文字板は径七尺、文字板の上には金属シェードが付いた電球照明が文字板を照らしています。 四面文字板壁は唐草のようなレリーフ、鈴塔及び文字板下に装飾手摺を廻らし、文字板下の手摺には「角海老」銘の看板が4面に取り付け、 その四隅八箇所には灯火を取り付けていました。 時打ち装置を持ちその鐘の音色は高くかつ麗しかったとの事です。
このように角海老楼の時計台は新吉原の名物的存在で明治初期より末期まで30年近く時を告げてきましたが、 明治44年4月9日の有名な新吉原大火で焼失してしまいました。 下は「東京北角の大火新吉原角海老楼へ延焼之実写」と題された博画館発行の吉原大火を描いた報道石版画で 新吉原のシンボル角海老楼の時計台が正に焼け落ちる所が映し出されています。 東映映画「吉原炎上」1987(五社英雄監督)はこの大火を題材としています。 オヤジの権威は薄くなりましたが・・・地震、雷、火事はまだまだ油断大敵ですね。
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参考文献
- 明治・東京時計塔記 平野光雄、昭和33年青蛙房刊
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