2. 八角時計物語
日本の近代化を切り開いた八角時計
「八角時計を叩いてみれば文明開化の音がする・・」 これは明治4年新政府の断髪、廃刀令によりしばらく巷間で流行った俗曲の「ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする・・」 のタイムキーパー版替え歌です。(笑)
時計史家故平野光雄さんは「時計閑話」の中に八角時計物語と題して郵便事業に採用された八角時計の歴史的経緯を書いています。 それを踏まえて近年発見された現物資料などでその意義を検証してみたいと思います。
替え歌にパクったように明治新政府が欧米の諸制度の導入により、日本の近代化を急いだのが文明開化でした。
その一つが明治4年、前島密が制定した郵便制度(駅逓司)です。
それまでにも国内には飛脚制度が有ったのですが、季節や天候により時間のあまり当てにならないものでした。
前島密の郵便事業は東京から京都まで36時(とき)つまり72時間で郵便を運び、
大阪までは39時(とき)つまり78時間の時間を以って到達するという、
新しい制度はまず時間を決める事を出発点にして、目的地までの所要時間が明示されたところに大きな意味が有りました。
この時間をお金に換算するという発想はそれまでの日本にはない価値観で、
タイムイズマネーの西洋資本主義を実際の事業として展開させた嚆矢でした。
このように郵便と時間は創業当初より切っても切れない関係にあり、それゆえ駅逓寮や郵便役所、
取扱所(明治8年以降、郵便局と改称)には時計が必要でした。
明治7年4月に竣工した
東京日本橋四日市、駅逓寮は、
玄関の正面上壁にファーブルブラント商館輸入の大時計が掲げられ東京名所にもなりました。
また同年6月に駅逓寮は全国の郵便役所や取扱所1000か所に初めて八角時計を一個ずつ配備しています。
まだ時計が珍しかった時代、所によっては時計と言えば郵便取扱所にしかない時代がしばらく続き、
人々の生活と郵便局の時計が深い関わり合いを持つことになったのです。
この八角時計は明治7年駅逓寮竣工以来、御用をつとめていた東京神田旅籠町の京屋時計店水野伊和造が
横浜チップマン商館から輸入した米国セス・トーマス会社の時計類を駅逓寮へ納めたものでした。
明治18年6月になると郵便物逓送時間を査定するため逓送人に懐中時計(逓送時計)を携帯させることになり、
懐中時計も配備されていきます。
しかし明治19年7月の標準時間が制度化(21年施行)されるまでは、まだ地方時の時代であり、 時刻を調整するには日時計に頼っていたのです。 標準時が制定されてからは電信で時計の時報あわせをしていたのですがまだまだすべての局にいきわたっていたわけでなく、 まだまだ日時計は郵便局になくてはならない道具でした。
このように全国の郵便局に順次配備されていった駅逓寮の八角時計は日本の時計(時間)の普及と近代化を大きく切り開いた、 大いなる日本の近代化遺産のシンボルとして高く評価して欲しいものです。
官司(かんし)名 | 年 代 |
---|---|
駅逓司 |
1868年 明治元年設置(交通通信担当官司) 1871年 明治4年3月駅逓頭、前島密 郵便制度開始 |
駅逓寮 |
1871年 明治4年8月に改称 |
駅逓局 |
1877年 明治10年1月に改称 |
逓信省 |
1885年 明治18年に新設の省として独立 |
日本近代郵便の父 前島 密(
前島密は、越後の国の高田藩(現在の新潟県上越市)生まれ。
日本の近代郵便制度の創設者で、その多大なる功績から「日本近代郵便の父」と呼ばれる。
この記念切手の左側のカシェ(Cachet)は、前島密像と創業初期の郵便局、右の切手は、
日本で最初に発行された竜切手
四日市駅逓寮の時計塔
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