3. 小型三筋花星(石原町工場)
メーカー | 製造年代 | 大きさ | 仕様・備考 |
---|---|---|---|
精工舎 (東京市本所区石原町工場) |
明治25年〜26年 |
文字板八吋 全高49cm |
八日持 打方付 「to41」マーク入り機械 手書き文字板 |
文字板とトレードマーク
手書き亜鉛板塗り文字板 |
トレードマーク(商標)
鍵Sマークとその上にそって |
文字板には鍵Sマークとその上にそってTRADEMARKの文字が有ります。 文字板の商標は判子を押したような印象です。 精工舎の鍵Sマークは2種あり、丸の上に沿ってTRADEMARKと書いてあるものと マークの左右にTRADE - MARKの文字が分かれるタイプが有ります。 8吋文字板のマーク(商標)に関して言えば、この「小型三筋花星」に付いている鍵Sマークの上に張り付いたTRADEMARKの文字の方が古く、 同じ8吋でも鍵Sの左右にTRADEMARKの文字が分かれる商標はカタログでは明治40年代以降に現れます。
10吋文字板の商標はどうだったのでしょうか? 明治20年代後半の10吋文字板はすべて鍵Sの左右にTREDE MARKの文字が分かれるタイプの商標ですが、 後述の中型(十吋)上平金では、TRADE MARK 無しの鍵Sマークのみが確認できました。 ちなみに扇Sの文字板商標は文字板及びラベルに登録商標の文字が入ってきますので登録された明治31年以降の製品と思われます。
文字板裏です。 この8吋文字板枠は幅が少し広く、お互いの端が重なるように文字板は縁が皿状になっていて出来が丁寧です。 幅広の文字板枠は初期の8吋、10吋文字板(25〜28年頃)の特徴のようです。
手書き文字板と印刷文字板
精工舎ボンボンの時代判定基準のひとつに文字板の制作方法が有ります。
「時計閑話」(昭和54年)で平野光雄さんは次のように書いています。
「元服部時計店取締役土方省吾が、同社創業以来の技師長吉川鶴彦にかって聞いた談話によると、掛時計の文字板は創業時から
明治29年度までは手書き仕上げであり翌30年度にいたって印刷に移行したとのことである。」
手書きの文字板というのは初期の特徴であり、ペイント文字がすこし書体が太く、濃淡があり独特のいかにも手書きの風情が有ります。
明治30年以降の印刷書体というものは全体に線が細く、むらが無く、綺麗に仕上がったものをものを言うのだと思います。
紙に印刷した文字板という意味では無く、あくまでもペイント文字板ということです。印刷といっても、
下地の白地のペイントに何らかの型を使って転写したものではないかと想像していますが、その型が何であったのかは不明です。
この印刷文字板の事をご存知の方は教えてください。
手書き文字板と印刷文字板について詳しくは
こちら
をご覧ください。
明治30年以降は完全に印刷文字板に以降したかというとそうでもなく、一部は明治30年初期頃まで手書き文字板が存在していたと
思われる実例を含めて紹介しています。
初期の手書き文字板の特徴
石原町文字板の飾り環 |
柳島移転後?の飾り環(明治28年) |
手書き文字板は前述のように明治29年度まで作られたということですから、「手書き文字板」ということだけでは、 時代の幅が4〜5年あります。 手書き文字板の中でも初期のものの特徴が見つかりましたので紹介します。
上の写真を見てください。
左が石原町の手書き文字板、右二枚(クリックで切り替わります)は
時計の裏板に年号の確認が出来る精工舎八吋八角ぼんぼんで、明治28年の銘入りと明治30年銘入りでどちらも手書き文字板。
どこが違うか・・・。文字板のセンターリング(文字板の飾り環)に注目してください。 石原町はリングは幅が細く、断面が直角三角形のように尖っていますが、明治28,30年〜以降の八吋のリングは幅が太くなり、 断面がカマボコ型に丸く山形になっています。 尖った方はこれも石原町を含めた初期八吋文字板の特徴と思われます。
振子室ラベル
石原町ラベルはこれ一つしか有りませんので、ラベルの詳細を覚えるとラベルが数cm位残っているだけでも石原町の確認が出来ます。
文字は上の通り。
ラベルには商標は入っていません。文字のみです。
機械は商標刻印ナシ、代わりに謎の「to41」刻印
精工舎石原町の機械 |
イングラハム8吋八角ボンボン機械 |
石原町の機械は右上のE.INGRAHAM Co PAT.OCT8,78 NOV.11,79 BRISTOL.CONN.の刻印の有る 米国イングラハム社の機械をコピーしたものと思われます。
精工舎は8吋と10吋は同じ機械を使用していますので石原町製のボンボンはこの機械一種類のようです。 機械の特徴は車が5枚のイングラハムに似た機械で、地板の角が尖っていて打方の数取車が打一番車の上の方に付くタイプです。 ゼンマイのラチェット車をおさえるコハゼの形がY字型になっていて(イングラハムのコハゼは鎌型)、 これは後に鎌形(I字状)に変わります。商標の刻印なし。明治30年代になると地板の角が丸くなり、 明治後期には数取り車が時一番車の真上に乗っかるタイプになり、地板の左側下に鍵Sの商標刻印が打たれるようになります。
興味深いのは地板の右下にto41と読める刻印がある事です。 石原町を多く見ていませんので比較できませんが、何らかの意味が有る刻印と思われます。 或いはロットナンバーのようなものかも知れません。似たような文字を他のメーカーでも見たような気がします。 この文字は機械の下の背板にも墨書されていること、また時計箱の裏板にも同じようにto41と読める文字が書いて有ります。
時計箱背面 |
時計箱裏板の文字「to41」拡大 |
振子と巻き鍵
巻き鍵がオリジナルであるかは不明です。
掛け金
石原町及び手書き文字板時代 |
扇Sラベル時代の明治30年代以降 |
最後に、時計を柱に掛けるための「掛け金」です。ここにも初期の特徴があります。
左は石原町及び手書き文字板時代の掛け金。
全長3.5cm位で丸型、木ネジ一本で背板に止めて有ります。
8吋、10吋ともおなじものを使ってます。
右はその後の扇Sラベル時代の明治30年代以降の掛け金。
全長は同じですが、幅広になり二本の木ネジで止めるようになります。
PR
前頁 ・ 1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 / 9 / 10 / 11 / 12 / 13 / 14 / 15 / 16 / 17 / 18 / 19 / 20 / 21 / 22 / 23 / 24 / 25 / 26 / 27 / 28 / 29 / 30 / 31 / 32 / 33 / ・ 次頁