1. ウラビー 【精工舎】
メーカー | 製造年代 | 大きさ | 仕様・備考 |
---|---|---|---|
精工舎 SEIKOSHA |
大正時代〜昭和初期 | 本体直径7cm | 毎日巻、 真鍮枠ニッケルメッキ、 裏蓋は鉄製 |
ちいさくてかわいい裏鈴目覚のウラビー君。
文字板には目覚ましの目安針も、小秒針もありませんが、ちゃんと目覚まし時計です。
目覚ましのセットは、裏蓋に小さな窓があって回転盤であわせます。
意匠はWestclox(米)Baby Ben を模倣したものと見えます。
文字板は白干支(写真左No.850)と夜光(写真右No.850R)があり、白干支は金属板にセルロイドのような
うすい板を張り合わせたものと直接塗装したものの二種類、夜光は薄手の艶消し黒紙を金属板に貼り付けたもののみが
確認できています。
裏蓋はリンの役割をしています。初期のもののほうが裏蓋の鉄が厚手で後期は薄手になります。
後期タイプは打方の鍵の巻く方向を示す部分とストッパーのツマミの部分に鐘のマークがあります。
昭和7年10月の「三越カタログ」には秋シーズンの好伴侶としてNo.850R夜光が、
「国産精工舎製小型目覚兼用置時計 一日捲
ニッケル鍍金、夜光付、優美な小型、御進物に御適當、一個二円九十銭」
とあります。
紙箱
NO.850 白干支 用 |
NO.850R 夜光 用 |
ウラビーが入っていた紙箱です。
実は、時計そのものと同様に、箱もWestclox(米)Baby Ben の大正期のものに瓜二つです。
当時お得意のパクリは、時計そのものだけでなく、パッケージまでそうだったのですね。
ウラビーは「Ura−Bee」であることがわかります。
夜光用の箱の色は夜光色をイメージしたのか「薄い青色」をしているようです。また、夜光を示す「Luminous」の文字が入ります。
「MADE BY SEIKOSHA」の下に「TOKYO,JAPAN.」の文字が入っていない箱も存在します。
機械は手入れしやすいです
URABEE Movement |
BEE Movement |
ウラビーの機械は、御覧の通り。
通常のビーの機械をベースに打方機構が取りつけられていますが、特に打方のゼンマイの取りつけ方が
親切と言うか単純と言うか、ビーの機械の外付け的(二階建て)に取り付けられています。
二階建ての地板の取付け方は前期のものは上の写真のようにマイナスネジ二本で固定しますが、
戦前の後期になると内側から六角ネジで固定する方法に変更されました。
この後期型の構造では時計関係の部分はいじらずにゼンマイ交換ができた前期の利点がなくなってしまい、
打方のゼンマイ交換が厄介になっています。
URABEE Back View |
裏鈴ビー目覚 機械 |
発見! これがウラビー最終型 戦後?
文字板はセルロイド製(金属板無し) |
目安回転盤が無く、裏蓋に目盛りがある |
精工舎のウラビーと言えば、裏蓋の小さな窓から覗く目安回転盤で目覚まし時刻のセットをするのが常識 ! と思っていましたが、 なんと、回転盤無しのウラビーがいました。 ウラビー最終型と思われます。
目安回転盤以外の部分にも特徴(変更点)が多く、それらの変更は英工舎、東洋時計や東京時計の製品の構造に近づけるものであり、 生産合理化やコストダウンが目的でしょう。機械の仕上げも質が落ちている印象です。
製造年代は、軍需生産の拡充により輸出向け以外の置時計・目覚時計の製造が禁止された昭和13年の少し前あるいは戦後と思われます。 戦後に作られた記録は見つかっていませんが、昭和24年頃には「裏鈴ビー目覚 コメット」が登場しますので、 戦前よりは戦後の可能性が高く、戦後に置時計の製造が再開されてから後継機種にあたるコメットができるまでの期間に 販売されたものではないかと考えます。
@外側六角ナット固定に変更 |
B塵除けが枠だけの質素な物になった |
夜光時計のお話
夜光時計にかかわって長年の歴史を持つ 根本特殊化学株式会社で、ウラビーとともに、たいへん興味深い夜光時計のコラムを掲載していました。 (現在は記事が削除されてしまったようです)
『時計の歴史は大変古いが、夜光時計となるとそれほど古いことではなく、20 世紀に入ってラジウム夜光 塗料が生まれてからで、1908年アメリカで、スイスでは1911年に生産され始めている。 日本では、1895年に時計の生産を始めたというセイコーでも、1927年に夜光腕時計を、夜光目覚時計は 1931年に初めてPRしているので、世界に20年も遅れていることになる。』
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