16. 横浜町会所時計塔(横浜)
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横浜開港(1859年)の草創期における現横浜市開港記念会館の前身、横浜町会所の沿革は、以下のように伝えられている。
「町会所は横浜開港の当時、売込、引取の両貿易商人が営業上による公共の事件を評議する目的で設立されたもので、一つの集会所にすぎなかった。 然るに貿易が盛隆になるにつれ、町役人と称する者数十名を置いて、貿易商に代わって常務を取り扱わしむる事として、歩合金を以って此の経費にあてた」
「横浜市史稿、政治編3」 横浜市役所編
横浜町会所時計塔(明治7年〜38年)
開港以降は一寒漁村に過ぎなかった横浜が、開港僅か1ヵ年にして関東随一の国際貿易港に発展し、居留地に外国商館が陸続と開設された。 時計も当時の東都有力時計商はほとんど横浜の外国人貿易商館より時計を仕入れ一般小売商に卸していた商館貿易の時代であったので、 町会所の様な町の行政を執行する、大きな施設がいち早く建設されたのである。
町会所は明治7年の竣工にして石造亜鉛葺二階建て、一部四階建て延765uの壮大な洋館で、町役所や歩合金徴収所、 貿易商組合事務所などが入った。 とりわけ正面玄関上、四階の位置には文明開化を象徴する巨大な時計塔が設置された。 鐘塔はドーム風に設計され、当時としては珍しいヨーロッパ置時計型時計塔でローマ数字文字板は2m、時打ち装置を備えていた。 (鐘はどういうわけか和製の梵鐘風の釣鐘であったという) 機械はファーブルブラント商館輸入の海外製でジェームス・ファーブルブラント自ら塔屋に登って取り付けを指揮したという。
明治7年という国内でも早い時期に時計塔の付いた洋館として建てられた町会所は、 明治23年に名称を横浜貿易商組合会館と改称、その後に横浜会館と改めた。 しかし老朽化が進んだため、不慮の災害に備えて、長年「時計台」と呼び親しまれた高塔を明治38年に撤去。 市は大修復を計画していたが、建屋は修復工事矢先の翌明治39年に運悪く火災の類焼によりすべて灰燼に帰した。
その後、明治42年に横浜開港50周年を記念して町会所跡地に横浜会館の再興が企てられ、 大正3年9月に起工、同6年6月に竣工したのが華麗なルネッサンス様式で知られる現在の横浜市開港記念会館である。 愛称はジャック、関東大震災で大分部分が倒壊したが昭和2年と平成元年の工事で完全復元された。
参考文献:「時計亦楽」平野光雄著 昭和51年10月25日、青蛙房刊
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