11. 西洋時計便覧(明治初期)
西洋時計便覧 全
柳河春三著
明治二年 東京書林大和屋喜兵衛版
折本木版34ページ、18.5x8cm
|
この折本は前述の小冊子同様、西洋時計の解説書であるが、舶来懐中時計を図示して、文章もより分かりやすく、
いよいよ西洋時計時代の到来を告げる内容となっている。
序文で以下のように西洋時計の必要を説いている。
巻末には時刻対照表及び寒暖計の見方も附属。
「旦を待つ忠臣も、陰を惜しむ学士も、かくべからざるものは時辰儀になんありける。
このものむかしはいとまれにのみわたりきぬれば、縉紳富豪ならではえうましかりつるを、今洋外の交しげきものから、
種々の品々もつとひ来て、つひには家ことに貯ふべく成ぬるもまた昇平の余沢にこそ、さればこの器のもちひかた、誰の人も心得しるべきことになん」
西洋時計便覧
およそ時計は一昼夜の間の時刻を測る具にして、萬民必要の器なり。
その法、元来西洋より伝わり世に行わたる事すでに久しく、矢倉時計、枕時計、尺時計の類、さまざま有りて皆人の知るところなれども、
これまでの和製の時計は昼夜の十二時を知らすのみにて、一時の間の細き分割に至りてはこれをくわしく知る事あたわず。
今西洋より舶来する時計はいずれも三本の針をそなへ、短針は時を指し、長針は分時(ミニュウト)を指し、小針は秒時(セコンド)を指す。
一昼夜を二十四時に分ち、一時を六十分、一分を六十秒に分ち、故に分時は日本一時の百二十分一にて、秒時は日本一時の七千二百分一、
すなわち一昼夜の八万六千四百分一まで測るにたがわざる事また奇妙の至ならずや。
西洋人の常に用ゆるは袖時計(そでとけい―一名根附時計)なり。三本針を常とす。
稀には二本針の品、または一分飛、重針、龍頭巻、左巻等の品あれども、先ずは右巻三本針多し。故にこの形を図に顕して知らしむ、余は推して知るべし。
|
袖時計 一名根付時計 全体の図
開図表面、同裏面、内機を開きし図
時計の文字
西洋にては一昼夜を二十四時にわかつゆえ、その一時は日本の半時にあたる。
日本の時は四季の節に随ひて長短有れども、西洋はいずれも平等時にして四季の違ひめ無れば、五時にて日の出る時も有り、
六時に成りてもまだ夜の明けきらぬ時もあり、只西洋も日本もかわらぬものは正午なり、それゆへに正午を十二時の針の真ん中に定め、
それより次第に一時、二時とかぞへ行けば、夜半に至りて又十二時なり、夜半より一時、二時とかぞへて翌日の正午に至れば又十二時なり。
さて分時(ミニュート)といひ、秒時(セコンド)といふは一時の間の細分にして、たとえば第一時と第二時との正中はすなわち三十分なり、
よって一時三十分といふ。又それより一時の四分一すぎたる時はすなわち一時四十五分といふ。
これ一時七分五厘の事なり。
秒は分の一つ下の数にて、一分よりニ分までの間に一セコンドより五十九セコンドまでありて六十セコンドと満つればすなわち二分時なり。
なお次の図を見て知るべし。
|
時計盤面図解
|
三本針は時針・分針・秒針の事で二本針は秒針なし、一分飛は中三針、この頃はゼンマイは鍵巻で、左巻きは鎖引き、
龍図巻が既にあるのは興味深い。
今でも旧暦が色濃く残っているように、この頃は太陽暦が普及するまでに紆余曲折があったようだ。
巻末 時刻対照表及び寒暖計の見方
PR
前頁
・
1
/
2
/
3
/
4
/
5
/
6
/
7
/
8
/
9
/
10
/
11
/
12
/
13
/
14
/
15
/
16
/
17
/
18
/
・
次頁