10. ヘソ形目覚 T.O印 【高野金属品製作所】
資料 1
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メーカー | 製造開始年 | 大きさ | 仕様・備考 |
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高野金属品製作所 (名古屋) |
大正初期 | 最大直径12.5 p |
毎日巻き、目覚付 真鍮胴ニッケルメッキ枠、 紙製文字板(T.O印) |
掛時計製造で成功した高野小太郎は、掛時計工場を息子の馬次郎に任せ、大正二年に「高野金属製作所」を設立。
これが名古屋ではじめての金属製目覚時計の生産となりました。
このヘソ目は、文字板と裏蓋と機械地板の3箇所にT.O印があります。ゴトクは鋳造です。
機械は、角形ニッケル目覚の機械を流用したもので、同じ高野の鉄製置時計や角形ニッケル置時計と部品の互換性があります。
精工舎等のヘソ目の機械は、角形ニッケル目覚の機械より薄くした専用機械ですが、
この時計は角形ニッケル目覚の流用のため、機械に厚みがあり、剣回し等は短いものでないと出っ張りすぎて恰好が悪くなってしまいます。
以上の様子から、比較的初期のものと推測しますが、高野の初期の目覚ましについては、「時計工業の発達」に
以下の記述があります。
「側の製作は、最初は帯材を周囲と背面別々に打ち抜き、溶接していたが、のちに一体に絞るように変え、 そのためアメリカから専用のプレス三台(しぼりプレス、抜きプレス、自動機プレス)を導入した。 このような機械化の結果、たちまち目覚時計月産二万個に達したのである。」
この時計の側は一体で絞られており、前述のような特徴がないので、初期のものと思われますが、 最初期ではないということになります。
文字板と機械
文字板TRADE 菱形にT.O MARK |
機械(文字板側)鋳造ゴトク |
左側に菱形にT.O の刻印 |
大きめの天輪と鉄ヒゲ |
資料 2
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この時計も、文字板と裏蓋と機械地板の3箇所にT.O印があり、ゴトクも鋳造で、外見は資料1とほぼ同一です。 資料1との違いは、機械の天輪が小さくなってヒゲゼンマイの材質が鉄でなく合金になったこと。 また、針の材質が真鍮になりペイントで黒くなっていることです。(アルコールで拭いたら簡単に落ちてしまう塗装)
文字板裏に修理履歴が書かれていて、昭和3年、同8年・11年とあるので、大正末頃に製造されたものかも知れません。
菱形T.O印の文字板 |
一般的なサイズになった天輪 |
資料 3
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資料2と同じ仕様ですが、裏蓋と機械地板から商標刻印が消え、T.O印は文字板1箇所だけです。 時代は大正末から昭和初期でしょうか。 資料1、2、3と天輪以外は違いがありません。精工舎は何度も改良・合理化が行われましたが、 高野はほとんど変化せず同じ部品のまま生産を続けていたようです。
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