6. 心斎橋石原時計店の絵葉書
石原時計店
大阪、淀屋橋角で150年の歴史を持つ関西の老舗として有名な石原時計店の大正期の絵葉書です。
創業者石原久之助は大阪時計の出資者及び取締役として大阪時計に深く関った人物としてもよく知られています。
明治35年大阪時計製造株式会社の解散後に石原久之助と野田吉兵衛が後を譲り受け、
大阪時計製造所としてクレセントなどの懐中時計を送り出しましたが、明治38年に石原個人の経営になり、
クレセント時計工場から戦後は石原時計精機株式会社として「クレセント」商標の8日巻きの置、掛時計を製造しました。
月星印のクレセントは明治から戦後まで一貫して使われた石原ブランドです。
※ 各種資料の日本の時計会社 関西地区 「大阪時計製造会社」に商標等の資料がありますので御覧下さい。
心斎橋石原時計店
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この絵葉書に見える心斎橋は明治32年に完成した石造のアーチ橋です。
設計は大阪市土木部、デザインは野口孫市で鉄製の瓦斯灯がお洒落です。
向かいに見える時計塔付きのビルが大正4年竣工した石原時計店、当時は心斎橋南詰にありました。
絵葉書の説明には次のように有ります。
心斎橋
立派ナ橋デスヤロ、ソレニ仰山ナ人ダンナー
大阪ノイッチニンヤカナ筋ヤサカイニ、大ケナ商賣屋モ仰山両側にオマッセ、
コノ向コフノネキニ大ケナ西洋建築ノ家ヤッテ小賣ヤダンガナー、
何トエライモンヤロ、
火の見半鐘?が川岸に見えてよき時代を感じさせます。
石原時計店竣工記念 大正四年
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大正4年竣工当時の記念絵葉書です。
三橋設計事務所(三橋四郎)の藤岡重一の設計で時計塔の写真には屋上庭園とあり、
店舗兼住宅になっていたようで当時としては珍しい噴水や庭付きの屋上であることが分かる珍しい写真です。
ハガキの上には月星のクレセントマーク、下は心斎橋の欄干と鉄灯。
石原時計店 大正七年一月
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石原時計舗の新聞広告 他
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当時の三階建ての店舗に時計塔がそびえている。
時計のほか、写真機の輸入販売、自転車の輸入、製造販売、楽器の輸入製造販売(オルガン工場)など専門の店舗、工場も有った事が分かる。
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この燈光置時計はもっとも斬新の意匠になり実用と装飾と両効兼備の発明なり 台は純良ニッケル金にて中に精巧の時計機械を装置し一回ネヂを掛くれば一昼夜二十四時間は普通時計の如く運転して正確に時を示す 上は卵形舶来上等摺硝子に上下周囲に優美の花紋を彫刻し中央には一時より十二時迄時計の字文を描き指針を中間に挿入して器械の 回転に伴ひ此傘自然にめぐりして時を示す・・・
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広告の絵の懐中時計は舶来品のようです。 取り扱っている時計がずらずらと書かれていますが、微笑ましいのは「歌入置時計」、これは角形のオルゴール時計のことだと思います。
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