14. 一つ目ペリカン 【東京時計】
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メーカー | 製造年代 | 大きさ | 仕様・備考 |
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東京時計 (東京) |
昭和13年頃(戦前) |
本体直径11p 幅8.5 p |
毎日巻き、金枠着色胴、ペリカンの目玉が動く、赤いクチバシと文字板は樹脂製 |
目玉が動くペリカン時計です。 東洋の目玉時計のように戦前のからくり時計は意匠、機構ともに舶来品を手本としていましたが、 この時計については、似たような舶来時計が見当たらないので、東京時計の考案なのかもしれません。 販売時期は、昭和13年の広告を確認しています。 昭和13年8月には銅使用制限規則が公布され置・目覚時計は全面的製造禁止となりました。加えて戦後はプラスチック枠に変更したため、販売実績はごく僅かと思います。 (※ 置き時計全体の製造が実際に完全にストップしたのは昭和15年です。)
この時計はボロボロのジャンク品で入手したため修理しながら考えたのですが、 コンセプトはペリカンの意匠で目玉の動く時計を安価な製品として実現することだったのではないでしょうか。 アンチモニー枠が全盛の時代に、あえてブリキを繋ぎ合わせた金枠で仕上げたのは、 コストとからくり時計の組み立て安さの両立のためだったと思います。 機械・ガラス・その縁、それと裏蓋は、東京時計の毎日巻きビーの汎用的なものです。 それらをベースに目玉機構をからくりとして動かすには、アンチモニー枠ではなにかと不都合があって、いきついたのが金枠着色胴だったのだと思います。
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金枠は前と後ろで二分割になっています。 この二枚の部品は、特段きっちりと嵌め込まれているわけではなく、ガラス縁と裏蓋で押さえつけられているだけです。 従って、時計の裏蓋を外せばすぐに写真7の状態になります。 左右に動く目玉の構造は写真7と8をご覧ください。 金枠の目玉部分には透明な樹脂カバーが嵌め込まれていて、実際の目玉はその奥にあります。 透明樹脂カバーを付けた理由は、チリ避けと手などの接触による時計停止回避だと思います。このあたりは安い割に丁寧です。 内部の目玉はセルロイドの半球形で、これは両端を尖らせた鉄製のピンで上下に串刺しされてコの字の真鍮金具にマウントされています。 目玉を左右に振るのは、アンクルに取り付けられた細いピンです。写真9と10がわかりやすいと思います。 一つ目玉ですが、ビー機械のアンクルの動力で動かせる範囲ですので、これが精一杯だったのでしょう。
当時の資料
戦前の金枠
一回巻二吋支、金枠着色胴
赤、青、其他六種
目玉が左右に動きます
3円30銭
戦後のプラスチック枠
金枠とプラスチック枠
東京ペリカンは、下村洋一著「からくり・おもしろ古時計図鑑」に掲載されています。 戦後は枠がプラスチック製に変更され、高さ13cmと若干大きくなっています。
写真:「からくり・おもしろ古時計図鑑」より転載
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