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東京時計製造株式会社

1. 東京時計の概要

1920年(大正9年)に村野常右衛門(むらのつねえもん)によって隆工舎(東京時計製造株式会社)が設立され、置時計(B、目覚)の製造を始める。 村野常右衛門は、衆議院議員・貴族院議員を歴任し、立憲政友会では幹事長や総務委員などの役職を務める一方、 横浜鉄道・横浜倉庫社長などのの起業・経営にかかわった、実業家・企業経営者である。

1934年(昭和9年)、電気時計の生産を開始。
1943年(昭和18年)、 富士写真フイルムの傘下に入り、 戦時中は富士写真フィルムの経営のもとに軍需省監督工場として、戦後は日本光学工業の経営で置時計、目覚時計、その他製造販売を 行ったが、昭和25年10月経済界の変動、労働組合の攻勢等の事情により操業停止、解散の事態に陥った。

昭和26年2月、佐藤守彦氏のもとに新たに東京時計製造株式会社を創立し、再び、置時計、目覚時計の製造販売を開始。
昭和29年、電池時計完成・製造販売開始。
昭和36年3月までには、新たに延べ2,200坪の鉄筋コンクリート建四階の近代的な本社及び工場を建設、 あわせて設備の充実を図る。
昭和37年9月、宮城県村田町に鉄筋コンクリート建延べ500坪の輸出専門工場を完成し操業を開始。
昭和39年、NHKの時報信号を受信して自動指針修正を行う電波時計を完成し市販。
昭和40年代終わり頃に当時流行のボーリングゲーム事業に進出して失敗し倒産した。

戦後の商標

本社工場全景

再建創立20周年記念パネル時計

パネル写真(33.2 x25.5cm)は東京時計の多摩川を隔てた川崎市高津にあった工場。 昭和40年代のものだと思われる。
工場は壊されて今はビルが建っているが、雨が降っても傘がいらないほど駅の真ん前に有った工場で、 毎日何百人の従業員で駅の改札が賑わった。

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