91. 注油に就いての注意
[問]ナルダン提時計を磨き直して具合は非常に良いのでしたが翌朝見ると止まって居るから調べてみると ゼンマイが一パイ巻き切ってゐるのに香箱から全部が遊んで居り動力が少しもないのです。 香箱の蓋も取って見るにゼンマイを巻きかけたままです。 つまり香箱と真が堅くなって居るのです。其れで居て油は注してあるのに斯る現象の起こる不思議に就いて解説願ひます。
[答]
それは誠にめづらしき現象が起こったので良い研究になりますから御答へ致します。
貴方は香箱真を取付けて後に油を注したのでせう。
普通の品なればそれで良いのですが、斯る高級時計は一番真の如き最も力の強い箇所で有りながら振れのないやうに香箱の穴と
真が最も(しっくり)出来て居るが為め、後で注油したのでは毛細原理が働く余裕がなかったので真と穴が密着したのです。
故に斯くの如き高級品は必ず先きに穴へ油を注して置いてから真を取り付ける様にするべきです。
92. 螺子が地板の中で砕けた場合の修理
[問]懐中時計の接合用の螺子が地板の中で砕けてしまって、普通のネジ廻しでは抜き出し得ないが、 これを抜き出す良法を問ふ。
[答] 砕けた螺子を抜き出すのは大変に困難の仕事である。 それも割れ目が真直ぐであり、均斉かつ直角である場合には、各人熟知の蹄鉄形の特別器具を用ひて螺子の砕片(かけら)を容易に 出すことが出来るが、若し割れ目が斜めであれば、この器具は一向に役に立たない。 この場合には先づ最初にノミを入れ、その先で螺子を戻すために砕片を廻すことが出来るや否やを調べ出来ればその侭に螺子を 廻して砕片も一緒に取出せばよい。 若しこれが駄目ならば、即ち螺子の残部が固くはまり、また余り深く入ってゐる時はもうひとつの方法即ち 錐(きり)を用ひるの外はなし。その錐は一ミリか一ミリ半の特殊のものである。 要するに無理をせずに合理的に抜き取るやうにいろいろの方法を試みる外はない。
93. 龍頭巻歯輪の噛合せ上の匡正
[問]懐中時計の重下竜頭巻きの垂直下の歯車と香箱の巻歯車との噛合せが強すぎて具合が悪いですが、 これを修整する方法は如何にせばよろしきや。
[答] 大抵の歯車装置は油が切れたりすると小歯輪の歯と巻歯輪の歯との噛合せが強く感ずるのであるから、 よく油を注して手入れをなせば滑に噛合ふやうになる。 若しそれでも強すぎたらば巻歯輪の下方に斜に稜をスリ落す事によって匡正されるのである。
94. 筒カナの修理二題
[問](一)竜頭を引き剣を廻す時に筒カナが浮き上がってきて日の裏車との喰ひ合ひをはづす様になるのは
如何なる理由ですか。又その修理方法も合わせて御教示下さい。
(ニ)竜頭引き剣を廻すに楽々と廻りピンセットで長剣の先にさわって見るに長剣は少しの力にて動きます。
この時は少し遅れてゆきます。これは筒カナが二番真に緊密でなく間際あるために筒カナが二番真即ち二番
車と共に確実に運転しないのであらうと思ひまして筒カナを締めんと思ひ筒カナを引き抜かんとしても如何
にしても抜くことが出来ません。この様な場合に如何にして筒カナを引き抜けばよろしきや御教示ください。
エスケープメント及びその他の部分には欠点及び異状なきものの様です。
[答] 筒カナが浮き上がって来るのは二番真の段と筒カナの段が適合せぬか又は筒カナの段のヘコミが足りないからです。 筒カナの穴の中へ真鍮か銅の線を入れて二番真の段の位置とよく合ふ所を見定めて喰ひ切り (成る可く刃先の薄くして丸みを持つもの)で締めて直すとよい。 又第二の質問も一番目の質問と同様なものですからこれによって判ることと思ひます。 貴方の言ふ通り筒カナが二番真に緊密でなくゆるみがあるのです。 尚筒カナが抜けない時は全部解体してプレート一枚にするのですがキット二番車が付いてゐるでせうからタガネで筒カナの上から 軽く叩くと危険がなく楽に抜けます。
95. 懐中時計の歯車装置の缺陥要件
[問]懐中時計の歯車装置の欠陥の起こる場合とこれが修繕法を問ふ。
[答]
本社の講義録にもある通り時計の歯車仕掛に現はれる欠陥は左(下です)の五つの場合に過ぎない。
(一)過度に深き噛み合せ
(ニ)過度に浅き噛み合せ
(三)車の歯にカナの歯とに於けるその働きの欠乏或いはその不充分
(四)直径の不正確なカナの歯車輪に比し過大又は過少なるカナ
(五)歯輪の歯又はカナの歯の形の不正なる事や即ちこの欠陥はカナのホゾ先(軸先)が孔中に自由に通るか
否かを経験家でも調べる事を怠るものだが、これが偶々(たまたま)欠陥を招来するものだ。
以上の如くいろいろな場合に処する修繕に就いて掲ぐる事は紙面の都合上許さぬから本社の講義録について知られたい。
96. 上受石の悪い調整
[問]懐中時計のシリンダー(円筒)の歯車のホゾ(筒)を修繕したが、組立後に於て上受石とホゾとの接触が悪いのか、 うまく天府が運転しないのです。 ホゾが長過ぎると思って擦り減らしたら、今度は上受石とホゾの尖が接触しないで、振り止まるのですが如何なる訳か説明を乞ふ。
[答] 多分これは上受石の鈑の欠点と思はれます。 この鈑が凹んでゐるといくらネジを締めても宝石とホゾとの接触がよく行かないのです。 又この鈑がシッカリとフレーム(枠)に嵌らない場合に傾いてゐるのや、または凹み面の鈑の場合も皆同様の欠点を来すものである。 欠点といふのは、上受石にホゾが当らない結果は天府の運転が止まるが、よく運転してもホゾが用かれる惧れがあり、 ホゾの尖端と石とがホゾが垂直になって石と直角に運転しないから円滑を欠き、石を置いた目的の全部が解消するだからホゾの 長さを加減すると共に宝石の上受石を嵌めてある鈑の正確なる位置を保ってゐるや否やを検査して、若し不正であったならば、 よくこれを訂正しなければならない。
97. 引続き全舞の切れる場合
[問]八型腕時計を水中に落下せしものを修理のため分離せしに二番のカナが少しサビ、他に異状なかりしため
カナのサビを抜き取り掃除をして油引きせしに調子よく動く様なりしが十二時間以内に全舞の切断せるを発見せり。
よって分解調査せしに二番のカナが少し屈折せるようでしたから、それを直して組立後新全舞を入れしに又同じく切断せり。
これは二番のカナが損傷してゐる為に切断するのでせうか。二番カナの外には何等異状ない様なのですが
如何なる原因か御教示下さい。
[答] 二番のカナのためにゼンマイが切れたり或ひは香箱の車の歯でゼンマイが切れるといふ事はない筈です。 貴方の場合は三度も同様にゼンマイが切れて居りますから、お尋ねの二番のカナの外に支障があるのでせう からよく調べてみるがよいと思ひます。 またゼンマイについても調べる必要がある。例へば古い物であるかどうか、またはゼンマイをサビさせない為にキハツの中に ひたして置いたものを使用したとかいふ欠点がある事に気をつける必要がある。 なほ、この点に支障が無い場合にはゼンマイを入れ替へる場合に無理して入れた為に折れるとか等のゼンマイに対する無理を してあるかどうかも調べる必要がある。おそらく二つの中の一つにあるでせう。
98. 油の注し過ぎた時の手當
[問]私は小型腕時計のヘヤー・スプリング(ヒゲゼンマイ)から油脂膜を除去するためにスプリングを揮発油に浸して これを除去した。 この場合に最初はよく時間を指時したが数週間の後になるとヒゲ巻の粘着で一日に四時間も狂ふやうになって来た。 これに関しての意見を知り度し。
[答]
貴方の御問合せの煩はしき事件には普通二つの主要なる原因がある。
第一は上部のバランス軸受(天府軸受)に余り油を多く注し過ぎたか。
第二にはメーン・スプリングのコイルに余り油を入れ過ぎたかに基因する。
上部のバランス受石の動きで円滑作用は充用だから特に多くの注油の必要はない。下のその中央部にある受石の平の下側の
約三分の一位を油で覆ふ程度でよろしい。
暫くすれば、穴と受石との間隙が毛細管引力となって各所に傳わる。
油はヘヤー・スプリング宝石受座へとだんだんに降って行って、終にはヒゲ巻の動きを妨げることに至る。
ヘヤー・スプリング上の剰余油は、これが中央車輪の下部にまわって運行を阻害する。
この為にヘヤー・スプリングの外側コイルと内側コイルとが調子が合はなくなって運行を阻害するに至る。
依って再度全部を揮発で洗ひ直して少量の油を注油する事。又二番車が一番及び三番車並に巻車等に廻転中接触せぬ様に
よく修整するのが肝要です。
99. 受石の調整と使用工具
[問]懐中時計の宝石の取替方法に関する処理法を教示され度い。
[答]
具合の悪い上受石の調整に関しては既に述べた処であるが、その際にも取替の部分の取替の部分の説明を加へてゐる筈である。
宝石はこれを除去する作業と新宝石を嵌め込む作業との二つの仕事から成ってゐる。
従ってこれに要する器具も二種の簡単の器具を要する。
その一つは嵌め込みの爪を開き石を出すものであり、今一つは、新しきよく合ふ石をいれたものに対して嵌め込みの爪を閉ぢる
器具である。
この器具といふのは極簡単のもので長さ凡そ十二センチメートル直径五ミリメートルの先の尖ったヤットコである。
除去用のものはキリ状のヤットコであり嵌め込み用のものは先がノミ状の形である。
100. 組立後振り切りの悪い腕時計
[問]十型アンクル腕時計を磨き組立後どうしても振り越してしまひます。 ヒゲの位置やアンクル止めで直しましたがどうしても直りません。 何処を直したならば振り越さなくなるでせう。御教示願ひます。
[答]
質問は振り越すとありますが振り切りのことではないかと思はれます。
振り切りであるとすれば直す前に故障なきものであったものが急に振り切った故障となった場合は大体に於て天真の故障、
穴石の破損等による事が多いのです。
質問の要旨は多分修理後に起きた故障でせうから、これは受座の取付けの不完全でも天府の上下のアガキ大きい場合は
下ツバの上下移動がはげしい為振り切り栓が下げ座の三ヶ月の上下から外れて振り切る場合がある。
または振り切り栓の短い為でせう。
以上の如くですから貴方の故障の手当ては間違ってゐる事になります。
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