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時計錦絵

3. 春遊十二時戌の刻

春遊十二時戌の刻

三代豊国筆、幕末頃
36×24cm(大判縦1枚)

春遊十二時戌の刻

右後方に櫓(やぐら)時計が描かれています。櫓時計は最も古くからある、典型的な和時計です。 この図柄について少し考察を試みます。

まず場所について、女性は花魁(おいらん:妹分が「おいらの姉さん」と呼んだのが語源という、嘘のような本当の通説)です。 しかも改め印が有ることから、公にして良い場所です。 遊女が居て、公の場所:遊郭は江戸時代では新吉原しかありません。その他の場所は岡場所と呼ばれました。

次に、「春遊」の「遊」は何をもって「遊び心」なのかです。 花魁が羽織を羽織っています。 羽織は戦国時代には鎧の上に着ていた防寒着(陣羽織)であり、外出着であるため、 一生吉原から出ることのない遊女には不要であるという理由から新吉原では遊女が着ることを禁じられていました。 この錦絵では、常連客の羽織を花魁が羽織って踊る、宴たけなわの様子です。 江戸時代は贅沢を禁じられていたので、世の男達は、表は地味でも羽織の裏地に趣向を凝らしていました。 深川芸者は新吉原に対抗して羽織を着ていたそうですが、所詮は岡場所なので、浮世絵には登場しにくいです。 現在では、黒紋付きの羽織のみが、女性の正装として認められているそうです。 時刻は戌の刻で、下級遊女や懐の豊かでない客は「床入り」の時間です。花魁と上客だけは、宴会を続けられました。

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