4. 「阿蘭陀萬歳時計」 からくり興行引札
からくりの歴史
からくりと時計の発展
からくりは機巧、或いは機関の文字を当て、精密な工作や細工によってて作られた機械的な仕掛け装置を言ったものである。 我が国では平安時代に中国から入ってきた指南車(車輪の差動を利用して常に南を指し示す)が最古と言われ、 平安末期の「今昔物語」に高陽親王がからくり人形を作られたという記録が有り、からくりにも古くからの歴史がある。
日本独自のからくりのルーツは室町に入ってきた西洋技術に寄るところが多く、 特に宣教師達が持ち込んだ西洋科学は各地の神学校などで国内に伝授され、時計もその一つであった。 そういった技術が二つの流れを生み、一つは日本独自の時計(不定時法の国産機械時計=和時計)の誕生へと、 またもう一つはからくり細工として玩具や人形芝居の興行へと応用発展していった。
からくりも時計も江戸時代の鎖国政策に中で日本独自の発展を遂げたが、 その背景には、幕藩体制における幕府の治世「大名も人民も、生かさず、殺さず・・」があった。 武器転用が可能な技術や知識を制限して取り締まったため、 からくり技術が生き延びる道は、時計とからくり人形に代表される玩具や見世物としての発露しかなかったのである。
機巧図彙(寛政8年 - 1796、細川半蔵著) は翫物之(もてあそびの)部(各種のからくり玩具)と時計の部からなる図解書で、 日本はからくりと時計が表裏一体であることを物語っている。 又このような秘伝に属するような内容を公刊した意義はその後の時計やからくりに大きな影響を与えた世界的な奇書として評価の高いものである。
見世物興行ブームとギヤマン細工大灯籠
寛文2年(1662年)に大阪、道頓堀で竹田近江が「からくり人形芝居興行」を成功させ、 その後の見世物興行や各地の山車からくりに受け継がれていった。 江戸時代の見世物は、細工ものから縁起動物もの、軽業、生人形など多岐に渡っていたが、 貝や籠などの細工もの及び人形や模型類、その他器具機械類の見世物はすべて細工と称せられ、その作者は細工人と呼ばれた。 この細工見世物の多くは江戸時代に発生し盛んになり、文政期を頂点に明治初期まで民衆娯楽の代表となった。 その最古の記録は寛文4年(1664年)作の「出来斎京土産」四条川原見世物の條に、斗鶏(とけい)からくりと有り、 江戸も早い時期にオランダあたりの時計を見世物にしているのは驚きである。
文政2年(1819年)浅草奥山での一田正七郎の籠細工興行が大当たりを納め、その後に類似の興行が相次ぎ一大細工見世物ブームが起った。 その余波を受けて大入りを競ったのは、東両国広小路での「ギヤマン細工灯籠とビイドロ細工阿蘭陀船」であった。 従来のガラス細工と言えば小物にすぎなかったのが、これは長崎の細工人が長年の苦心を重ねただけあって、高さ二丈二尺五寸、 横渡り一丈三尺という巨大なもので、ガラス製の六角形の中にからくり人形を仕組んで人気を集めた。 翌年には大阪で二階作りのギヤマン船に七福神のからくりを乗せたギヤマン船興行が人気を博して天保にかけて流行した。 天保7年3月からは「紅毛誘参船」と名付けて浅草奥山でギヤマン楼船「硝子細工人楠本富右衛門と機関細工人竹田縫殿之助との合作」の興行が評判になり、 ここでこの引札に出てくる楠本富右衛門の名前が見える。 又同年6月からの両国、回航向院の開帳興行ではギヤマン船で好評を得た楠本富右衛門の「ギヤマン細工大灯籠」では、 高さ三丈五尺、横廻り七丈余という巨大な灯籠を作り、 それにからくり人形の離れ業に「さながら竜宮城もかくやと思われるばかり壮麗言語に絶していた」 と観客を狂喜させたという。(見世物研究)
阿蘭陀萬歳時計の考察
引札に記載された万歳時計の大きさが前述のギヤマン細工大灯籠の大きさと同じで、細工人も同じで有るところから、
この大灯籠に万歳時計を組み入れたのではないかとも見られます。
時計とからくり人形の方の細工人は竹田縫之助が絡んでいるのかも知れません。
さらにさかのぼること文政4年(1821年)には、大阪一心寺で「オランダ細工萬歳時計」の興行がありました。
川添コレクション目録のチラシには「此度おらんだわたり流金つくり大とけい人形のはたらきいろいろあり」とあり、
オランダ渡りの機械時計に各種の飾りや人形を仕込み、天使が時を報ずる毎に西洋楽器をかなでたといいます。
大きさ5尺、幅3尺あり、一度巻くと約一年ほど動いていたので万歳時計と名付けられました。
この天保引札に先駆けて文政年間にすでにオランダ渡りの「萬歳時計」が出現していたことは興味深いことです。
阿蘭陀萬歳時計は、田中久重の萬歳自鳴鐘(万年時計、嘉永4年 - 1851)のルーツとも思え、 また江戸初期からのこういった見世物舶来時計が日本の時計師やからくり師に与えた影響は大きいものがありそうです。 引札には各種からくり人形と三層城郭のような巨大な仕掛けに天使、唐子の楽隊や人魚?らしきものや、 鳳凰飾りの下にローマ数字の文字板が見えますが、ギヤマン細工とからくり人形仕掛けの大時計はたいそう受けたという事です。 江戸を通じて大人気を博したこのような細工見世物は単に興行人や細工人だけのパーフォーマンスではなく、 その裏にはそれらを可能にした江戸の材料専門店や優秀な技術職人の存在がありました。 ものつくり日本のルーツとも思えるこれらの見世物は現代では語感の悪さも伴って言葉としては死語になっていますが、 考えて見れば現代の舞台公演やTVのバラエティーに見られる数々はまさに現代に生きる見世物ともいえます。 産業界からもバックアップされたこれらの古き見世物世界は言ってみれば、民衆の日本的好奇心、 遊び心とエネルギーがなし得た世界に冠たる、ものつくり日本の原点とも言えます。 日本のものつくりを考えるときこれら時計を含めたからくり細工見世物をもっと評価すべきであろうと思います。
参考文献:「見世物研究」朝倉無声著 昭和3年春陽堂刊
図説 庶民芸能・江戸の見世物 (雄山閣BOOKS)
古河三樹著 平成5年
江戸の見世物 (岩波新書)
川添裕著 平成12年
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