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時計保険領収書・修理広告

1. 序章

販売した商品の収入や支出の証文(領収書)は江戸時代より有ったものと思われますが、 保証とか保険という概念は開国により外国からもたらされたものでしょう。 現在に連なる時計売買に伴う保険領収書という契約スタイルは外国時計が入ってきた明治初期にさかのぼるようです。 今に残された当時の時計には初めはすべてに付いていたであろう時計保険領収証が残っているものは非常に少ないようです。
幸い時計は無くなっても紙は残るようで当時の保険領収証が散見されます。 それらからは古い時代の商品、値段や商習慣、風俗、時代までもが垣間見えてくるようです。 さあ、紙くずの旅へ出かけましょう。

2. 改歴の年の十八金懐中時計

改歴の年の時計保険領収書

明治六年(1873)

14x15.5cmの薄い和紙に活版印刷で広告文が印刷され、その右の余白に販売したと思われる懐中時計の値段、 製品番号と機械の特徴、日付け、顧客の名前が墨書されています。 年号が入っていませんが、広告の中の十干十二支の癸酉は明治六年1873年、にあたります。 この広告チラシは明治6年、この商店が開業時に印刷させたものでしょう。

改暦間もない頃の開業広告ですが、新潟は信濃川と阿賀野川の河口港として立地に恵まれ、 古くから北前船の最大の寄港地として殷賑を極め江戸後期に天領となり幕末の開港地へと発展しました。 戊辰戦争の影響で開港は明治元年末にずれ込みましたが、一時は各国の領事館が置かれ、開港地として早い時期から開化政策の進んだ北陸の都会でした。

この広告主はどうやら時計屋ということでなく当時流行った、 唐物屋(とうぶつや) と呼ばれた西洋小間物店・洋品店だったようです。 扱い品目も時計からランプ、ガラス、洋酒、洋傘など外国製品が並んでいます。 特に地方では洋ものはこういった商売形態が多く、この中からやがて時計商や洋傘商などが出てきたのです。 仕入先はやはり横浜商館だったのでしょう。 金銀時計は懐中時計のこと、ここでも掛時計は八角ボンボンと書かれていますので早くからボンボン時計と呼ばれていたことが分かりますね。

  • 一 三拾七円也
  • 102906
  • 辰八月二日
  • 第六百九十一号
  • 十八金厚中ガラス
  • 中〇アンクル時斗
  • 中ガラス竜頭巻
  • 壱個

商品の時計を見ていきましょう。 日付けが辰八月ですから明治13年庚辰1880年にあたりますので後年までこのような開業チラシを使っていたのでしょうか。 時計屋さんでなかったのでこのような簡便な領収書を作ったとも思えます。
金額の次の番号は時計ケースなどに記されたシリアルナンバーでしょう。 第691号は領収書の番号。 18金、片側でしょうか両蓋でしょうか?この時代アンクルで竜頭巻は最新型で高級品だったことでしょう。

  • 広告
  • 時計修補  金銀時計 金銀鍵方針
  • 八角ボン々 西洋小間物 ランプ類
  • 硝子品々  洋酒類品々 傘 類
  • 右は今般横浜並に東京商人と堅く條約
  • 仕り廉下の値を以て広く売弘め度四方
  • 諸君多少を不論御用向被付仰度奉希候
  • 敬白
  • 癸酉 二月
  • 新潟港本町通九番町
  • 高橋 栄蔵
  • 本町九番町
  • 第四十三番地活版屋製

木版全盛の時代に当時最新の印刷術、活版印刷所の名前が入ってるのが珍しく、 八角時計の印鑑が押してあるのもお洒落ですね。 明治22年に市制がひかれる前の開化期の開港地の販売記録(時計領収書)としても古く貴重なものです。

高橋栄蔵

高橋栄蔵は明治6年の第四国立銀行(現第四銀行)の設立発起人の一人で新潟の実力者でした。 当時の新潟は、長崎、函館、横浜、神戸につぐ全国5番目の 開港場として中央政府から重視されていました。 時の新潟県令(今の県知事)楠本正隆は、わが国三大県令 の一人に数えられるほどの人物で、 彼が強力な指導力を発揮して有力地主を説得し、全国三番目の第四国立銀行設立に全力を尽くしたのです。

国立銀行とは1872年に制定された国立銀行条例によって設立された銀行の意であり、国が設立したものではない民間の銀行です。 第四銀行は現存最古の歴史を持つ銀行です。

初期の国立銀行

唐物屋(とうぶつや)

「陰陽世界の嘘とまこと 商人 - 唐物屋」

木版色摺り、大錦版、作者不明、明治初期

シリーズもののようですが作家を含めて詳細は不明。 唐物屋の店頭で商人の本音と嘘が語れているようです。

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