7. 田中仁吉時計保険證
- 金 拾八円也
- 製造国名 瑞西国 花エト?
- 品名 銀片 廿三形○○針入 竜頭巻
- 機械名 ○○印ニッケール巻上ゲ
- 保険年限 四十年
- 第一條 保険年限中は必ず毎年一回磨き直し油挿し相成るべきものとす
- 第二條 御購求の後も壱年内時間の遅速振り留り或は自然工合変ずることあれは無代價にて修復すべし
但し過誤より破損したる節は相当直し代償の半額を領収すべし - 第三條 此保証は何人の手に渡ると雖も(いえども)期限内は其効を失はさるものとす
- 明治廿一年十一月十日
- 東京日本橋区本銀町二丁目九番地 田中 仁吉
- 京橋区南伝馬町三丁目十二番地 田中 支店
懐中時計の量産に成功した田中仁吉
保険期間及び内容は吉沼に類似したものですが、印刷はこちらは銅板・石版併用ではないかと思われる見事な仕上がりです。 (東京本所番場町 勉致舎 中山剣)
この田中時計本舗の田中仁吉は明治初期東都の著名時計商村井友七(通二丁目)の弟子で、 明治17年前以前に神田区鍛冶町から日本橋区本銀町二丁目に店舗を移し、商館貿易によりスイス製・アメリカ製の各種懐中時計及び貴金属宝飾品を輸入販売していた。 間もなく同番地に金属製品細工場を設け、さらに懐中時計製造工場をも併設しそれらの国産化を目指し、明治23年の内国勧業博覧会ではこれらを出品し受賞している。 この頃には本銀町の本舗を支舗とし、京橋区南伝馬町に工場を移して量産に成功している。
当時のカタログ広告によると田中製懐中時計はイギリスおよびアメリカ製をモデルにした21型片ガラス銀側竜頭巻アンクル脱進機十二石の時計で有った。 その後田中が明治25年に死亡したため時計事業はおしくも廃止されてしまったが、 懐中時計黎明期に一応国産量産時計を製造販売した事は注目に値する快挙であった。
登録商標
時計定価一覧表 明治22年11月 |
参考文献:@ 時計亦楽 平野光雄著 昭和51年10月25日青蛙房刊
A 日本の懐中時計 江口茂著 1981年6月10日開成出版株式会社刊