12. 修理料金表
大垣時計商工組合
懐中時計、金張七宝側時計、金側鍵巻時計、金側時計、掛時計・・・と時計の種類ごとに、修理内容と料金の目安が書かれています。 修理内容は、掃除、ゼンマイ替、天府真及入ホゾ新規取替、天府真新規取替ヘ、並硝子一枚取替、厚山硝子一枚取替 となっています。
修理表も時代によって色々な情報が詰まっています。 領収書同様に、時代の息吹や、匂いが漂ってきますね。
松本時計商組合
上段が懐中時計の部、下段が掛置時計の部で、まだ腕時計は登場ていません。 修繕メニューが細かくて、ヒゲ新規、剣入れ(針の取り付け)があったり、天府真も新調とツギ直しの両方があります。
掛時計の部の最初に注目。「スリゲール磨直し」とあります。 スリゲルは地域によって呼び方がスリゲールとなったりしますが、 松本はスリゲ―ル圏のようです。
昭和になると、腕時計磨き直しが登場し、懐中時計のメッキなどの修理がメニューから消えています。 また、手間のかかるゼンマイツギ(切れたぜんまいを加工してつなぐこと)が無くなっています。 この頃から、ゼンマイが切れた時は新規に交換することが一般的になったのかもしれません。
北安時計畜音器商工業組合
北安とは北安曇野の事で松本盆地の北西部です。松本より北になりますが、「宮形スリゲル」とあり、こちらはスリゲル圏ですね。 この辺がスリゲルとスリゲールの呼び名の境目になるのでしょうか?
新潟県時計眼鏡商工組合連合会
|
戦中に突入です。 舶来時計の輸入禁止、置時計・目覚時計の製造禁止に伴い、時計が不足するようになると、 その影響で需要インフレ旺盛となっていました。 昭和14年9月18日には、その制限措置である九・一八(戦争のために行われた国内の経済統制令)が発令されます。 時計の価格は9月18日時点の価格で釘付けすることになったのです。 これを厳守するため、昭和15年11月6日には商工大臣小林一三により腕時計及び懐中時計の最高販売価格が指定され、 組合は販売価格を自主的に取り決め出来なくなり、 小売価格の混乱を避けるために協定価格を製品毎に設定する動きとなりました。
この時計修繕協定料金表にメーカーや個々の商品を列記した詳細な分類がなされているのは、 このような経緯に関係していると思われます。
さて、気になるスリゲルの呼び方ですが、 ここまで北上すると関東のスリゲル圏に入っているようです。 スリゲルは裸ゼンマイの並スリの事、香箱入スリゲルはユンハンスタイプと見られます。
写真提供 K.Kさん
富山県時計商工組合連合会
そして戦後です。細かな修理メニューはなく、国産と舶来に二分されていることが変化点です。 昭和21年に精工舎が操業を開始し、次いでシチズンなどの国産時計メーカーが終戦後の整理をつけて伸展途上に向かっている時代です。 時計の需要に対して国産品の生産能力がまったく追いついておらず、 その穴埋めは舶来時計でした。舶来時計は当初はヤミ価格による販売でしたが、 これを改めるため昭和28年に社団法人組織による日本時計輸入協会が設立されて、終戦後のヤミ時代から絶縁に向かいます。 輸入時計を専門に扱う商館がオメガ、チソット、ロレックス、インターナショナル、エニカー、シーマ、モバード・・・ 等々の輸入許可権を競い合う賑やかな時代になっていきました。
鹿児島県時計貴金属眼鏡商組合連合会
メニューから提げ(懐中)時計の部がなくなり、腕時計は自動巻きも登場しています。 掛時計には電池時計がありますが、値段は高めですね。当時の時計屋さんには厄介ものだったのかも。
鹿児島県時計貴金属眼鏡商組合連合会
クオーツが普及し始めて、機械式時計の絶頂期をやや過ぎようとしている頃でしょうか。 特別高級品は別途料金だったり、特別調整で精度をだすメニューがあったり、 お客がうるさくなってきて、大変そうです。笑