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吉沼時計製造会社・東京時計製造

4. 売り出し慣例広告 明治33年

大割引、大景品 売り出し慣例広告

明治33年12月

「売出し」なる語は恰も呉服商その他、一、ニの商業者の専用語なるかのごとくにして我が時計営業者間に於いては未だ曾てその類を見さるところなれば 世間或は意外の感に打たるる者なるきに非るも熟熟欧米各国の慣例によりて見れば売出なるものは我国のごとき或る狭隘なる意味に非ずして広く一般の商業者間に行われ その繁盛盛大なること実に我人の夢想だにも見る能はざるものとす、 彼の有名なる「クリスマスChrisumas」売出しのごとき都での商業者は全力を奮って大売り出しをなし興味と便利とのにより専ら顧客平常の受賞に酬いんとするもののごとし、 然れども我国に於いては未だこれ等の慣例なくある一部の商業業者間にのみ行われつつあるは豈愛顧彦の対して一大不忠ならずや、 弊店慈に鑑み率先して吾営業売出慣例を作らんとす、殊に本月は弊店営業開始の當月なるを以て即ち開業記念を兼ね子爾今以後毎年十二月に於いて時計美術品等の大売り出しをなす、 本年はその第一着手なれば極めて意義る極めて便利なる方法を以て愛顧諸彦の平常に酬ひんとす、 幸いに左の売出月日及売出方法等御熟覧ありて陸続御来店あらんことを店員一同鶴首して奉待候 敬白

斬新で進んだ商売感覚

吉沼は当時、日本橋区通二丁目に時計塔を設置した6階建ての斬新な煉瓦石造館を新築移転したのが明治31年10月であった。翌十一月に芝公園内の紅葉館に於いて盛大で派手な新築披露宴を開いている。 吉沼は天賞堂などと並び広告に力を入れ、当時一世を風靡した川上音二郎の「オッぺケペー節」の替え歌を西森武城に作らせたり、「吉沼商店欣舞」「えんかいな節」「当世流行手鞠歌」など次々とCMソングを作って売り出した。 この広告でも業界初のクリスマスという年末セールを企画していて驚かされる。 又セールの景品に宝珠形の干菓子の中に景品の名前を書いた札を入れたりとなかなかのアイデアマンである。

この日本橋通の新館はデパートのような様相を呈しており、この時代の商人として広告上手な吉沼は極めて斬新で進んだ商売感覚の持ち主であった。

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