5. 田中久重作「万年時計」の置物
東芝のカラーテレビの景品
1975年製(昭和50年) |
田中久重翁 通称儀右衛門 |
「からくり儀右衛門」の名で有名な田中久重が江戸末期に手掛けた万年時計が複製され、「愛・地球博」に展示されているそうですが、
その複製の模様が先日NHKで放送されました。
万年時計は今までにも大掛かりな分解修理、修復、研究がなされているそうですが、今回の分解・複製の様子はCGを駆使して
ビジュアルに解説され、とてもわかりやすく素晴らしい番組でした。
田中久重の名も和時計の株も再評価され、また江戸時代の日本の技術力の高さとハイテク立国日本のルーツはこういった和時計に
代表される技術者の歴史があったればこそという認識が広がりつつあると思います。
そこで、東芝製?万年時計の置物の登場です。
プラスチック製18cm、カラーテレビがまだ高かった頃、東芝テレビを買った人に景品としてつけたものです。
なかなか正確な外観をしていますが上部のドームの太陽と月は有りません。
上の写真は、一丁天符鉄機械櫓時計。和時計君!出番ですよ〜
台座とカバーが付いた状態
説明書より転載
発明と工夫に生きた東芝創設者"からくり儀右衛門"田中久重翁の最高傑作 万年時計 発明と工夫に生きた東芝創設者田中久重翁は、"からくり儀右衛門"と呼ばれ、「懐中時計」「無尽灯」「竜吐水」「須弥山儀」など 数多くの発明品を残してきました。寛政11年(1799年)久留米のべっこう細工師"弥右衛門"の長男として生まれた田中翁は、 幼少の頃よりからくりの才にたけ、14才で久留米絵絣を発明して以来、明治14年、82才の生涯を終えるまで機械技術不毛の時代に あって、その進歩・発展に深い情熱を傾け、大いなる成果をもたらしました。 田中久重翁が76才の時、現在の銀座(東京)に民間最初の、機械工場である電信機工場(東芝の前進)を創設し、以来すでに 100年たった今日でも、東芝には"からくり儀右衛門"田中久重翁の日本電気文化の開拓精神が大切に伝えられ、常に新しいものを 研究し、たゆまぬ努力を重ね、常に前進しております。 この源である"万年時計"は、嘉永3年(1850年)に田中久重翁の天才的な天文暦学の知識、ヨーロッパの時計技術を組み合わせて 完成された和時計中、最高傑作といわれているものです。6角形の各面に様式時刻・和式時刻・24節気の月日7曜・暦(千支)月の みちかけと、その日付が示され、上部には、日本地図が描かれ、その上を太陽(赤球)と月(白球)が、季節に応じた動きを するようになっています。 また、第一面の洋時計にはスイス製の懐中時計がはめ込まれていて、万年時計全体の動きがこの時計によって調整されるように できています。 高さ53センチ、台巾26センチ、6面からなるこの置時計は、一回のネジ巻きで225日余り動き続ける秀品で、現在は東京上野の 国立科学博物館に、重要文化財として、陳列されております。
この開拓精神と、東芝創立100周年を記念して、東芝創設者、田中久重翁の最高傑作である万年時計を置物用の模型に復元し
製作致しました。 一九七五年 謹製 |