3. 丸型携帯用日時計「軽便日時計」 明治時代以降
最も普及した明治時代以降のタイプの日時計です。
紙箱の取り扱い説明には次のように書いてあります。
軽便日時計使用法
第一 本器ヲ日向ニ据エ三角形ト半圓起コシテ中央ヲ吻合スル事
第二 磁針ヲ南北線ニ対合スル事
(磁針ハ黒キ方北ト知ルベシ)
第三 水平線ヲ正ウスル事(三角形ノ北端ニアリ)
右ノ如クシテ太陽正南ニ位置スル時ハ三角ノ影黒線ニ入ル此時ヲ以テ正午トナス(即チ地方時)
太陽回転スルニ従ヒ東西ノ時刻ニ三角形ヲ投影スルニ由リ時刻ヲ粗○測知ス而○蓋裏ニ貼付スル日本全国標準時表ニ 由リ加減ヲ算スレバ普通標準時、地方時ノ区別ヲ認知スル事明ナリ
外径6cm、木製ケース(桐?)、時代は明治〜大正 |
上蓋を開けて寝ている三角形のノモンを立て、弓状のワイヤーで固定します。
ノモンの先には水準の為の重り付糸が垂れています。
文字板には方位をあわせる磁石が有り、W〜[までのローマ数字が刻まれています。
本体裏から見ると穴が2つ開いていて、右が磁石の入る穴で、左が水準の糸と重りが入る穴です。
薄い紙で裏打ちされていますが写真のように破れています。糸と重りが無くなっているものも多いようです。
取説に有るように蓋の裏には「大日本帝国府縣廳所在地標準時之差異」と書かれた全国の都市の標準時との差が表になっています。
例えば「加ノ部 地方時ヨリ早シ 徳島県一分四十七秒」「減ノ部 地方時ヨリ遅シ 和歌山県三十三秒」などと有ります。
日本の標準時が制定された頃のものではないかと想像されます。
日本の標準時は第2次世界大戦以前に関しては、以下の勅令で標準時が定められています。
- 明治十九年勅令第五十一号(1886年7月12日公布)
東経135度の子午線の時を「本邦一般の標準時」と定める。
1888(明治21年)年1月1日施行。経度の定義。
- 明治二十八年勅令第百六十七号(1895年12月27日公布)
「帝国の従来の標準時」を中央標準時と改称。東経120度の子午線の時を西部標準時と定める。
西部標準時の適用範囲は,台湾および澎湖列島と八重山および宮古列島。
1896(明治29年)年1月1日施行。 - 昭和十二年勅令第五百二十九号(1937年9月24日公布)
明治二十八年勅令第百六十七号を改正し,西部標準時を廃止。
1937(昭和12年)10月1日施行。
この日時計には標準時の記載は有るものの中央標準時、西部標準時とか台湾の記載が無いので明治21年以降、
明治29年以前に発売されたものかも知れません。
このタイプの日時計は明治以降に現れたもので、外見で意外と古いと思われていますが(江戸などと書かれた文献もある)
明治中後期〜昭和戦前まで時計屋さんで販売されていました。
日時計の絵葉書(大正時代)
ここで紹介した日時計を説明している大正時代の絵葉書。 「上図は最も進歩した、近世の日時計であります。」と書いてありますが、 近世は日本の歴史では江戸時代のことですので、「近代の日時計」と解釈するのが適切でしょう。 (この写真の日時計はそう古いタイプのものではないので。)