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携帯用日時計

日時計は古代より様々なスタイルが考案され現在の精密な日時計に至るまでまで脈々とその歴史とロマンが語り続けられてきました。
一番古い時を計る道具としてその歴史の薀蓄を語り始めるととても膨大でその任でも有りませんので ここでは江戸から昭和戦前に至るまでの携帯用日時計に焦点を当てて庶民の時計文化の一側面を見ていただきたいと思います。

1. 紙日時計 江戸時代

懐中日時計(紙製日時計)

15x20.5cm 江戸後期

折本仕立てですが一枚の紙といってもいい木版摺りの小紙片です。 江戸後期には旅行者や船乗りのためにこのような紙製の簡易な日時計が結構普及していたようです。 旅行案内である道中案内とか船乗り用の必携書には付録としてこのような日時計が付いてるものもありました。 古い記録ではシーボルトの「江戸参府紀行」があります。 シーボルトは文政6年(1823)来日して1826年に江戸までの旅行日記を残していますが、それには次のような記述があります。

「日本では道路地図や旅行案内書は必要で欠くことのできない旅行用品の一つである。・・・・・海陸の旅行に好都合のように出来ていて、 旅行地図や道程表のほかに日本人旅行者のにとって有益なことがらの要点が載っている。 すなわち旅行用品の指示・馬や人夫の料金・通行手形の形式・有名な山や巡礼地の名称・気象学の原則・潮の干満の表・年表などである。 そのうえ現行の尺度のあらまし・紙こよりを立てると出来上がる日時計までついている」(斉藤信訳、東洋文庫1967年平凡社刊)

写真のように季節に合わせた短冊状の紙片(紙こより)を立てて太陽に向けてその影の先端の長さの時刻の数字を読んでおおよその それぞれの土地の視太陽時を知るというものです。ちなみに影の先端が「九」のところに行くと正午です。 不定時法では一日を12に分けてまたその1刻(いっとき)を四分割して、1刻の真ん中を正刻と呼びます。 それで九ツ、午の刻(11〜13時)の真ん中、午の正刻が「しょうご : 正午」です。
漢数字は江戸期の時刻表示です。日本は東西に伸びていますが緯度にそれほど差がなく、このような日時計で結構役に立ったようです。 また潮の満ち引や運勢などの吉凶占いが載っていて興味深い。

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