3. 田中久重の経歴と成果の概要
1799年寛政11年久留米に出生、久重は通称儀右衛門、父鼈甲屋田中弥右衛門・母よし長男 (家族調書 : 1802年享和2年出生)
西 暦 | 和 暦 | 経歴と成果 |
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9〜13歳で箱、箪笥等の細工を行う | ||
雲切人形、翌年、風砲を製作 | ||
大阪等でからくり興行 | ||
大阪移住、懐中燭台発明 | ||
陰陽総司土御門家より天文学履修、須弥山儀工夫、消火機製作 | ||
嵯峨御所宣旨により近江大掾印加を受領 | ||
須弥山儀、縮象儀成る万年時計着手、広瀬元恭に蘭学を習う ※ 須弥山儀とは一種の天球儀で仏教思想の天動説に基づいて1年の日と月の運行を表す。月の朔望(新月と満月)、 春夏秋冬、日の出没も示し、時刻に鐘を鳴らす。 |
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万年自鳴鐘成る | ||
蒸気船雛形作る 鷹司関白より「日本第一細工師」の招牌受領、ボギー車工夫、佐賀精煉方に入り、砲、鉄製造関与 | ||
佐賀藩 幕府より大砲50門鋳造受注 | ||
ペリー再来航、日米和親条約、次いで日英、日露和親条約 | ||
日蘭条約蘭船伝修生となる。長崎にて汽船・汽車雛形製作、幕府向大砲50門中25門竣工 | ||
大砲方機械製造着手、3、4年幕府向大砲全部完了、電信機関与成功 | ||
佐賀藩電流丸汽罐着手 | ||
電流丸汽罐成る 幕府注文汽罐三基着手 |
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佐賀藩汽船製造掛合を受命 三重の津に造船所を設け蒸気船製造着手 幕府注文の汽罐成る |
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久留米藩初めて汽船雄飛丸購入 久留米藩鑓水製造場兼務 |
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金子大吉養子となり入家 佐賀藩凌風丸竣工、日本初の汽船 |
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久留米藩銅80ポンド砲鋳造 製氷処方及び製氷機発明(日本初) |
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製造所諸職裁判役、久留米藩中小姓15石3人扶持 | ||
3月、明治天皇大阪湾に観艦式、佐賀藩電流丸旗艦 その汽罐は近江父子の製作 久留米蒸気船千歳丸も参加 製鉄所裁判役 5月上野戦争、久留米藩兵も官軍に参加 |
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近江、上海に出張 7月廃藩置県 |
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近江の佐賀在住〜明治5年までの工夫発明又は改良において年代不詳のもの : 無鍵の錠、自在捻子切機、楕円切削旋盤、煙草刻み機、改良竈、自転車、精米機、水車機械、改良車輪、藁切機、風呂竈、 鍍金法、製薬機械、昇水機械、凾ケつ機械、傘轆轤製造機械、写真機、他に記録中の図案十数種 |
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1月久留米出発 麻布大泉寺に工場 11月に西久保神谷町に移転 |
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工部省の命によりブレゲー電信機製造に成功 | ||
7月 南金六町に移転、工場は工部省指定 銀座煉瓦街に出店 |
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A.グラハム・ベル この年有線電話発明 | ||
京浜間に電話試用線 | ||
田中工場全部が工部省に買収され、全工場員同省に採用され、 逓信省電信燈台用品製造所の起源 | ||
近江 東京自邸に卒す | ||
二代久重官を辞して芝金杉に大工場建設 即ち田中工場 |
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11月 田中工場を三井家に譲る 同末 芝浦製作所と改称 |
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没後50年従五位贈位 |