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Seth Thomas(セス・トーマス)

1. Seth Thomas OFFICE No.2 (旧型)

SETH THOMAS CLOCK CO(Plymouth Hollow Conn.)はコネチカット州プリマスハローで1853〜65年操業していましたが トーマスの功績を称えて町の名前を1865年にThomastonと変えました。 オフィシャルには1875年までこの名前は採用されなったのですがトーマスの時計のラベルは65年に直ちにTHOMASTONラベルにすべて変えられましたので トーマスの時計の時代を特定する上で重要なポイントです。

国内現存最古級のぼんぼん

Office No.2

旧タイプ

メーカー 製造年代 大きさ 仕様・備考
セス・トーマス
(米国)
幕末〜明治初期 ペイント文字板十二吋
全高65cm
八日捲き、打方付

このオフィスNo.2は「江戸時代からの時計を使っている?」というある山奥のお爺さんが所有されていたもので古くから国内にあり、 茅葺の旧家の欅の大黒柱に掛かっていました。
セス・トーマスがコネチカット州プリマスハローで操業していたのは1853〜65年で、これは幕末(江戸時代後期)にあたります。 日本にぼんぼん時計が入ってきたのは明治時代(1868年〜)以降がほとんどですので、 PLYMOUTHの名前の入ったセス・トーマスのぼんぼんが国内に存在したことはとても考えにくいのですが、 どうやらお爺さんの記憶は正しくこれは国内最古級のぼんぼんなのかも知れません。

ガラス枠

饅頭を重ねたような断面

時代考証のように時代の大変古いタイプのNo.2でその後の同タイプと少し違いが見られます。
12吋文字板はペイント文字板で厚い一枚板で整形されていてケースに直接木ネジ留めされています。 文字板にマークや文字の表記はありません。文字板裏には修理暦ありますが判読できず。 ベゼル(ガラス枠)の形状は饅頭を重ねたような断面。(上の写真を参照)スペード針が少し太い。 文字板枠はベゼルの方にくっ付いたタイプです。 ボン針には文字はありません。 ケースはROSEWOODやWALNUTの薄皮張り。 ガラス絵は花柄。(ヒビ有り) 機械は3番車を大きくした独特の機械。地板に S THOMAS PLYMOUTH CONN USA 11 1/4 の刻印有り。 オリジナルには有った巻き止め装置が外されている。機械は背板に枕板止め。 ラベルはTHOMASTONに移行した後の普通のTHOMASTONラベル。(SETH THOMAS THOMASTON, CONN

特徴は以上のようですが、地板の刻印はPLYMOUTHでラベルはTOMASTONラベルになっていますので、 町の名前がThomastonに変わった1865年直後の製品=いち早くラベルだけTHOMASTONにした過渡期の製品と思われ、 日本には幕末頃入ってきたものと想像されますがいかがでしょうか? 母国にはもちろんPLYMOUTH時代の古い時計はたくさん残ってるのでしょうが当時日本に輸入された時計でPLYMOUTH銘は 他に見た事がありませんので同様の兄弟?がおられましたら是非情報をいただきたくお願いします。

機械

3番車を大きくした独特の機械

地板の刻印

S THOMAS
PLYMOUTH CONN
USA 11 1/4

12吋ペイント文字板

表:マークや文字の記入なし
裏:修理暦あるも判読できず

厚い一枚板で整形されていて
ケースに直接木ネジ留め

振子室ラベル

THOMASTONに移行した後の普通のラベル

SETH THOMAS, THOMASTON, CONN.,U.S.A.

振子とボン針台

振子 表 / 裏

ボン針台

文字は無し

同一仕様の兄弟発見! 国内現存2台目を確認

機械の特徴、刻印、文字板・べゼルと振子室ラベルも同じ仕様の兄弟とも云える時計が見つかりました。 上記記載の組み合わせのトーマスが輸入最初期型であることが、ほぼ間違いないと確認できたといえるでしょう。

販売は明治7年で時の文明開化である明治改暦まもなくの時代です。 時計の販売者はなんと金田市兵衛の金田時計店(日本橋区本町)、 購入者は下総国の方とわかる貴重な墨書きも確認できます。

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背板の墨書き

明治七年甲戌 十二月三十日
東京本町一丁目 金田市兵衛ニテ求
下総国・・・(購入者の住所・氏名)

写真提供 伊藤時計店(千葉県)の御客様

販売者の三代目金田市兵衛

明治初年代の東京時計産業界において、日本橋区本町の金田時計店(三代目金田市兵衛)といえば、 宮内省御用達の老舗として、八官町の小林時計店(二代目小林伝次郎)とならんで、当時、 全国的に著名な時計商の一人に数えられていた。

明治14年に上野で開催された第二回内国勧業博覧会では、 四方時計機械を製作・出品、この機械は展覧会入り口を飾った巨大な櫓時計型の時計塔に設置された。

三代目金田市兵衛と金田時計店

金田時計店は明治14年1月26日の東京大火で全焼の災にあった
右の模写図は再建後

「明治前期東京時計産業の功労者たち」平野光雄著 より引用

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