2. 統制経済下のアルミ機械 昭和10年代前半
資料1:No.39
メーカー | 製造年代 | 大きさ | 仕様・備考 |
---|---|---|---|
明治時計株式会社 (名古屋) |
昭和10年代前半 |
高40cm 文字板5.5吋亜鉛版ペイント |
No.39 アルミの地板の機械、陶器の振子 |
時代が変われば時計も変わる?噂に聞く戦時中の節約バージョンの掛時計です。
シンプルな長四角のスリゲルで、扉の左右の端にブロックパターンのような細かいレール状の象嵌がありアクセントになっています。
ガラスは下の窓ガラスだけ面取で全体に簡素な(チープな?)印象を受けます。
機械を見てください。驚きの異色の質感、なんと地板がアルミです。
表面が多少黄色味を帯びていますので何か表面加工を施してあるのかも知れません。
地板左上に明治のマーク入り。ホゾ穴に一部ブッシュが入ってるところがやわな?アルミらしい機械です。
歯車は真鍮です。振子の振り玉がなんと、陶器で出来ています。ガラスの振り玉も時々聞きますが瀬戸の方が珍しいでしょうか?
ボン針台は鋳鉄でマーク入り。
背面板にはNo.39、C.M.A.EXAMINED、愛知第 号の3種類の小型シールとMeijiの英文の大型ラベルが貼って有ります。
愛知第 号シールには日本時計工業組合價格査定委員會登録番号No. 小賣業者販賣價格 一個\・・とあり、
国の統制経済が始まった頃の影響を思わせます。
ただ敵性語がまだ使われているので戦争もまだそれほど逼迫した頃のものではなさそうです。昭和10年代前半位のものでしょうか。
昭和12年に戦争が始まると資源小国の日本は資源確保の為、国策として統制経済を強めやがて金属回収のため
民間金属特別回収(金属供出)を始め鉄、金銀などが応召され最終的には梵鐘から鍋、釜、アルミにまで拡大されました。
この時計は、そういった時代背景を伝える遺産ともいえます。
精工舎にはアルミ機械が製造された記録が無く、アルミ製の機械を作ったのは名古屋を中心とした一部のメーカーだけだったようです。
背面板のラベルとシール |
陶器の振り玉と巻鍵 |
資料2:
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背板の英文ラベルは剥落 |
地板と時打管制車(数取車)がアルミ |
陶器の振り玉と巻鍵(カギ羽根がアルミ製) |
資料3:(アルミ仲間としての参考)
英工舎製 |
地板と時打管制車(数取車)がアルミ地板に英工舎の商標刻印あり |
東京の鶴巻時計店英工舎製です。
セルロイド製の文字板に、文字板枠が黒いベークライト?です。
振り子は、ブリキ板のような表面をしています。
こちらは名古屋で流行ったアンソニア式機械ですが、機械だけでメーカー不明です。 多くの歯車がアルミになっています。
使って育てよ代用品「代用品愛用強調運動」
時計において真鍮の代わりにアルミや陶器・硝子が使われたように、戦時下においては家庭内のさまざまな製品に代用品が使われました。 この絵葉書は、昭和15年(1940年)9月11日から行われた「代用品愛用強調運動」に関係したものと思われます。 家族部屋と書かれた部屋には、壁紙から調度品まで所狭しと代用品が並んでいます。 当時高嶺の花であったモダン住宅の一室ようなモデルルームです。