1. 八吋張り四ツ丸 創業初期(明治22〜25年)
資料1
メーカー | 製造年代 | 大きさ | 仕様・備考 |
---|---|---|---|
大阪時計製造会社 (大阪市内) |
明治23〜25年 | 文字板八吋 | 八日持、打方付、 ペイント文字板八吋(後年に紙貼りされている) |
機械は後年の川崎村と同様ですが、川崎村の初期手を含めて機械の商標マークロゴ刻印が左にあることと、川崎村はKAWASAKI、
豊崎村はTOYOSAKIとラベルに記載があるのがこの時計のラベルには住所が有りません(ONのみ)。
また会社もKAISHIAと古い書き方ですので大阪時計の創業初期タイプと判断できます。
文字板は精工舎石原町とほぼ同型で元々はペイント文字盤・Yの上に商標が入りますが、明治期に張り替えされています。
ケースはイングラハムを真似て作られています。厚みもとても薄いです。
ラベルは何故か上下反対につけられ、
「MANUFACTURED BY OSAKA CLOCK CO. - OSAKA TOKEI SEIZO KAISHIA - O. N.」
とあり、最後の「O. N.」が 大阪市・日本国 ではないかと思われます。
商標は入っていません。
機械は社名・商標ともに左側です。
鐘台は普通の物にOSAKA CLOCK COと刻印。
振子はオリジナル。イングラハムそっくりです。
柱時計の生産は明治23年7月の26個をもって始まったと言われています。
この時代は工場立地が定まらずに生産目標の月産450個に遠く及ばず、25年に川崎村に生産体制が整ってからやっと目標をクリアしました。
明治26年2月に蒸気機関開設までブリ輪と呼ばれる人力を用いていた事は精工舎の石原町時代と同様です。
生産設備が整っておらず生産量そのものが少なかったこの時代の時計は貴重です。
なお、大阪時計のこの初期八吋張り四つタイプは金丸とサクソン丸(真鍮張り)の両方が有ったようです。
資料提供:ACFさん
機械と振子室ラベル
MANUFACTURED BY OSAKA CLOCK CO. |
資料2「金丸」
こちらは金丸。ラベルが良い状態で残っています。
資料提供:ヒロさん