9. 八吋和藤内 組み立て時計後期
メーカー | 製造年代 | 大きさ | 仕様・備考 |
---|---|---|---|
KOSEISHA (東京) |
明治30年代(推定) |
文字板十吋 全高52cm |
八日持、打方付、ペイント文字板(張替えられている) |
機械
振子室ラベル
珍しいラベルで、KOSEISHA BARGAIN CLOCK の文字が楕円形に描かれている。
箱
国産箱。 黒柿様のペイントケース、下窓の絵ガラスは国産特有の石版印刷紙を貼ったもの。
KOSEISHAとは? 続
近江屋新居常七商店(通称キンツネ)、二代目常七の覚書「万諸控」に残された記録によると、 初代常七の蛎殻町工場の設立の数年前には本所区林町三丁目五十六番地にも時計製造工場を設立、 小玉又三郎を工場長としてアメリカ製ボンボン時計をモデルとしてボンボンや八角時計の製造に従っていた。
蛎殻町工場は明治24年4月に解散し、工作機械、地金など一切を小玉又三郎に貸与されたというが、 林町工場も明治27年10月に解散し、職長小玉以下16人に退職金を支払っている。 27年まで林町工場に小玉が従事していたとすれば、その後工場設備を月島に移しボンボンの製造に従ったと伝えられる小玉工場は、 早くとも明治28年以降という事になりそうである。 明治40年3月から上野で開かれた「第一回東京府勧業博覧会」に小玉は自製の3個の大型掛時計三個を出品してるのが興味深い。(活動期は明治30〜40年代か?) 又、この林町工場工作機械一式は東都の時計商高木大五郎、高野周吉へ譲渡してその後米国アンソニア社掛時計の組み立て工場として発足したと伝えられている。
明治初期の京浜時計商の集まりであった「開時会」は後にその中から東京時計商組合が創設されたように東都の時計産業にも大きな影響力を持っていた。
開時会メンバー
メンバー名 | 主な功績等 |
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小林伝次郎(2代) | 開時会の創立者で後の東京時計商組合初代頭取、八官町の大時計 |
金田市兵衛(3代目) | 小林と並ぶ名人時計師、第1回、第2回内国勧業博覧会に塔時計や歯割機械を出品受賞 |
水野伊和造(京屋) | 駅逓寮の八角時計など製造、外神田の大時計 |
新居常七 | 東京時計商組合の2代目頭取、林町、蛎殻町時計工場、工場長小玉又三郎 |
小島房次郎 | 第二回内国勧業博覧会で置時計出品受賞、八角時計を製造、人形町の大時計 |
金森桝吉 | 横浜大田町の時計商(金森商店)アンソニアの組み立て時計を販売(鍵MKマーク) |
河北直蔵 | 横浜河北時計店、弁天通時計塔 |
高木大五郎 | 高野と組み立て時計を製造 |
高野周吉 |
小林、金田、京屋、キンツネ、小玉、小島、金森、河北・・・、意外やほとんどKマークになりそうです・・・。(笑)