4. KIN.TSUNE レギュレーター
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メーカー | 製造年代 | 大きさ | 仕様・備考 |
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蛎殻町時計工場 (東京市日本橋) |
明治10年代後期〜20年代初期 | 縦131cm、横54.5cm(振り子の部分は34.5cm)、奥行17cm、文字板径46cm(18インチ) | SETH TOMAS regulator似のゼンマイ駆動機械、箱下部の上戸(三角形の造作)が欠品 |
文字板にKIN.TSUNE.(キンツネ)時計製造場製とある大型の所謂レギュレーターです。 高精度の時計なので標準時計といった方がわかりやすいでしょうか。 セス・トーマス(米)製品を参考にして製造したと思われますが、 本家のセス・トーマスとしては、鉄道、学校、消防所などの公共の場の利用を想定した製品でした。 製造時期の手がかりとなる明確な情報は見当たらないので、 明治10年代後期〜20年代初期と蛎殻町の活動期間全般のレンジとしておきます。
製造年代の推測
1870(明治3)年の近江屋新居常七商店を創業とし、昭和に入ってから新居家と共同出資にて、合資会社を設立し現在に至る 近常精機株式会社(Kintsune Co, ltd.)には、同じ時計が保存されていますが、この時計には文字板の印刷文字の最下部に「T.ONO.」とあります。 新居常七伝によると、
- 常七は、明治10年頃から本所区林町三丁目五十六番地に、木造瓦葺平屋建の時計工場を設立し、工場長小玉又三郎のもと少年工ら14名とアメリカのセス・トーマス製品をモデルに ボンボン時計や八角時計の製造をしていた
- この林町の工場設立から2、3年遅れて、時計商大野徳三郎と共同出資で日本橋区蛎殻町三丁目一番地に更に大きな工場を設けた
とありますが、本サイトの時計会社の歴史においては、新居の蛎殻町工場の活動期は明治16〜24年頃と推測しています。 「T.ONO.」が時計商大野徳三郎を表しているとすると、この活動期の初期の製品、少なくとも初期に開発された製品と考えて間違いなさそうです。
- 蛎殻町三丁目の工場は後に大野が半分の権利を新居に譲り(残念ながらその時期は不明)新居の個人経営となっている
- 共同出資者の大野の名前がある製品は蛎殻町三丁目の工場の最初の頃(・・?
レギュレーター機械
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以下、構造的な検証は所有者さんからの情報をベースに記載します。
- 99刻印は製造番号と思われる
- 国産にしては非常に良い作りをしていて、プレスの技術や真鍮の材質などはまだまだ改善の余地が見られるものの、 振り子の竿やセス・トーマスによる日巻の輪振に使われているような簡易的な香箱を使用したり、直進式アンクル脱進機の採用など、 現代の機械式クロックに引けを取らない精度が出るような設計が随所に見られる。
- 本家の重錘式を香箱ゼンマイに変更した理由について。 香箱ゼンマイだと巻き上げ時に時計が止まらないというメリットがある。 ビエンナなどの高級レギュレータークロックでは止まらないようにハリソンスプリングという仕組みが使われていることが多いが、 セス・トーマスのクロックでその仕組みを採用しているものをまだ見たことがないので当時の日本人は知らなかったかもしれない。
- 振り子は850g程あり、1振動の機械。 振り竿は、第三回内国勧業博覧会(明治23年)で優秀さが認められたもので温度によって伸び縮みしにくい竹に漆を塗って仕上げてある。
- 精度は、駅や逓信省用の標準時計として相応しいもので、オーバーホールして日差2秒以内に収まっている。
資料提供 : わったんさん