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尾張時計

1. 尾張時計の略歴と商標

年 号 事 項
明治27年 三輪嘉兵衛、近藤太兵衛、佳田安之助、今井藤吉等によって尾張時計製造合資会社を創設、 洲崎橋畔に工場を設けてボンボン時計製造を始めるが翌28年に6月下笹島町に移転。
明治39年5月 資本金10万円で株式会社に改組して尾張時計株式会社になる。
社長は三輪嘉兵衛
大正7年7月 資本金20万円に増資し、帝国機械製造株式会社を併合。
大正8年2月 蝿取器の専売特許権を獲得して之を売り出したところ、全国各地より注文殺到して巨利を博した。
下は、大正13年東京、中村光玉堂、中村商報に掲載された広告。
大正9年6月 葵町に新工場を建築移転し対支貿易に力をいれて生産を拡大した。
大正11年3月 資本金50万円に増資し、海外輸出に拍車をかけて好成績を収めた。
昭和14年6月 資本金を100万円に増資し、東区矢田町に新工場を建設し、ここを航空機関係の部品専門工場として生産開始。
昭和18年8月 資本金を200万円に増資し、社名も尾張時計航空機工業株式会社と改め航空機部品の生産を拡大。 
昭和19年10月 資本金を350万円に増資し、瀬戸市東町及び津島市に工場を増設し時局産業に完全に転向した。
戦後
昭和24年5月
資本金を1500万円に増資し、本社を矢田工場に移し、葵町と津島の工場を閉鎖し、 矢田工場ではもっぱら掛時計及び観賞用置時計の製造を成し、 瀬戸工場では自動車部品や米国特許の分権を受けて特殊螺子の製造に従事した。
下は、観賞用置時計の代表作「金魚時計」。

参考文献:

  1. 名古屋時計業界沿革史、吉田浅一編、昭和28年刊

商標登録原本

明治33年1月15日登録 尾張時計製造合資会社

明治42年5月25日登録 尾張時計株式会社

明治30年代の輸出用カタログ表紙

THE OWARI CLOCK COMPANY
HIROI-CHO NAGOYA JAPAN

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