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目玉の動く置時計

1. こけし置時計 【手塚時計】

資料 1

No.520 こけし 二吋半支(目玉振)

メーカー 製造年 大きさ 仕様・備考
【製造】手塚時計(東京) 昭和25年〜 全長18cm
文字板 二吋半
毎日巻、天府振、木製ケース、動作表示装置付(目玉が動く)

同じ手塚の掛時計に分銅引きの目動き時計がありましたが、 こちらは置き時計で天府振りで目玉が動くものです。 掛時計と違って天府振りのアンクルの力は弱いので、製品化には苦労があったようで、 製作部長の栗野金造氏が実用新案「天府振りに於ける動作表示装置」を出願しています。 目玉が動くのは時計の動作表示なんですね。

珍品時計として人気がありますが、 戦後の日本の復興を牽引したアイデアと努力と苦労がつまっている時計ともいえます。

POPPO CLOCK

TEZUKA CLOCK CO
MADE IN JAPAN

資料 2

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No.520 こけし

目玉振

二人目のお姉さんが発見されました。(笑)
眉や鼻の形、また着物の水玉模様などが違うようです。 結構フリーハンドで書いていたみたいですね。 4の写真が発見当時の様子、1の写真はきれいにお風呂に入った後?です。

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昭和28年6月ワク井商報より

考案者の栗野金造氏について

考案者の栗野金造は、時計師としての経験12年、昭和14年手塚時計株式会社の前身、 手塚測定工具株式会社に入社、精密計器、ダイヤルインジケータ千分の一粍を研究完成し、 戦後重錘式掛時計製作に従事し現在に至っているが、同社の製作部長の現職にあり、 意匠を含め時計に関する多くの発明考案を完成した。 すなわち登録実用新案三件、登録意匠二件、ならびに出願中のもの特許一件、実用新案五件、 意匠一件が数えられる。

発明の沿革、内容

考案者 栗野金造氏は時計の意匠、機構などについて独創的な工夫を続けてきたが、 目玉の動く置時計(天府振り)に着想し、試作にとりかかったが、掛時計(振り子式)と異なり、 天府振りに於ける目玉(セルロイド球二個)の運動する部分(アンクル)の力は非常に弱く、 目玉を完全に動かし、なお天府の振りの落ちぬよう、時差に影響のないようにするため、 これが実現に至るまでに多くの苦心を重ね、 ついに実用新案登録第三八四、五七六号外二件「天府振り時計における動作表示装置」を完成した。

「天府振り時計における動作表示装置」を実施した時計は、これも従来と同様に、時計の枠全体を動物に形どり、 その目玉のところにセルロイド球二個をとりつけ、脱進機の左右運動を利用して、 ちょうど動物の目玉が左右に動いているようにみせたもので、 表面からみたところでは、振子式と少しもかわらぬものである。 しかし機構的に違う点は、脱進機と眼球のあいだに両先をセンターにして受け、 摩擦を少なくした中間軸を設け(眼球軸も同じ)、眼球にはそれぞれ突出した環をもうけ、 それにTの字型の線で連絡をつけ、Tの字のさがった部分を、 中間軸の一端から出した四角のV字型に曲げた線の中央に入れ、 V型にはTの字のさがった部分をはさんで遊んでいる二本の橋を設けてある。 中間軸の他端は、脱進機と連絡し、脱進機の左右運動により、その二本の橋がブランコのようにゆれて、 その間にはさまれたTの字が左右運動をする。 そして眼球に不規則な衝撃があった場合でも二本の橋がこれを受け止めて、 脱進機になんの影響もあたえない天府振り脱進機は掛時計のそれと異なり、 力は非常に弱く、この点で脱進機直接ではとても二個の眼球は動かし切れず、 従って中間軸を設けたわけであり、接触用の線はすべて0.3粍のピアノ線を用い、 そのなめらかな面を利用している。

がんらい、時計の製造は、名人芸で一人一人の技術によって動かすものではなく、 だれが組み立てても容易にできるものでなくてはならない。 この見地から考案者は何回も最初の振り出しに戻って研究試作を重ねたかわからなかったという。

両センターにあたえられた二個の球体を脱進機の右への力でこれを流すと、 流された二個の球体の重みと流れてくる力を脱進機の戻りの動きへこれが打ちあたるような状態が 中間軸の一端のピアノ線の曲がり方によって、生じてくるわけで、 結局は前述の、橋二本によって解決したわけである。

出典:手塚時計株式会社と目玉の動く置時計(p.126)

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