1. Blinking-Eye Automata Clock物語
このようなアメリカ製鉄側人形時計は時計の動きに連動して目玉がウインクをするように上下に動き、そのためカタログではウインカー
(WINKER)と書かれています。
古時計の世界ではこのような目玉の動く鉄側時計をBlinking-Eye Clockと呼んでいます。
パチクリ時計?とでも訳せばいいのでしょうか。(笑)
彼等の仲間を呼んで、その歴史的背景もご紹介しましょう。さあ、Blinking-Eye Clock物語の開幕です!
※上の写真の時計は、クリスマス用に飾りつけしてあります。
Blinking-Eye clock物語
1840年代の後半にアメリカでは新しいCAST-IRONによる建築革命が起こり全米各地の都会に大きなビル群が立ちそびえ始めました。
そんな鉄の時代の幕開けにコネチカット州では世紀初期に大きな鉱床の発見もあり鉄製品が溢れていました。
同じくコネチカットでは多くの時計工場が有り初期には木製の機械、やがて真鍮の機械による大時計やSHELFクロックを量産していたので
コネチカットに鉄側ノベルティークロックが出現するのは時代の必然でした。
1857年コネチカット州、westmeridenのデザイナーPietro Chinquiniは3種の鉄側時計のケースデザインを意匠登録しました。
これが目玉の動く鉄側人形時計(blinking-eye clock)の嚆矢と言われています。
その第一号は同年7月14日に登録されたNo.916のコンチネンタル(CONTINENTAL)と呼ばれるトリコーンハット(三角帽)をかぶり、
バックルシューズをはき、お腹が時計になった独立戦争当時(1775〜1776)のアメリカ大陸兵の姿をかたどった人形側です。
二号はNo.935フルーツバスケットのついた三角型時計、三号はNo.946サンタクロースのモデルとなったSaint Nicholas像の人形側です。
コンチネンタルの台座の裏側にはBRADLEY&HUBBARD PATENTED. JULY14 1857の浮き出し文字が入っています。
ブラッドリー&ハバード社は同じメリデンの鉄製品会社で1854年に設立され、1875年にはBradley&Hubbard Manufacturing Companyと
なり鉄建築資材や鉄生活用品、アートメタルグッズなどを作っていました。
このB&H社が鉄側時計デザイン特許をPietro Chinquiniから買い、セス・トーマスやウオーターベリーの機械を鉄側に入れて鉄側時計を
作り始めた時期をこの裏の刻印(1857)は示しています。
やがて勃発した南北戦争(1861〜1865)による軍需のためこれらの時計はしばらく休止されましたが、戦後の1860年代後半から70年に
かけて以前にも増して様々なデザインの鉄側時計がB&H社や鉄側のもう一つの雄、Nicholas Muller & Sonsによって各社のカタログに
溢れる事になります。
1867年のウオーターベリーのカタログには表紙にコンチネンタルの図版が有り、本ページには沢山の鉄側置時計に混じって 52,CONTINENTAL 60、ORGAN GRINDER 67,SAMBO 68,TOPSYの4種類の目玉の動く鉄側人形時計がONE-DAY WINKER IRONとして載っています。