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精工舎 舶来機械入り

1. 月鳥印側、Happy Time銘 他

資料1 月鳥印側

メーカー 製造開始年 大きさ 主な仕様
精工舎側、舶来機械 明治33年(1900年)頃 18型 スイス製シリンダー式脱進機
精工舎製八百銀無双側
二段瀬戸引き文字板

この時計は、側は月鳥印(月に雁?)の商標 (登録商標No.12280 明治32年4月13日 服部金太郎(東京市)) で精工舎製ですが、機械はチラネジ付きテンプ、シャトン嵌め込みルビー軸受の舶来品です。
明治〜大正の精工舎カタログを見ると、「精工舎製側舶来機械入及精工舎製器械入舶来側種々アリ」 と記述があり舶来の機械を輸入して精工舎の側に入れて販売していたものです。
精工舎製片硝子富士山印や三雁印ケース、文字板は「Switzerland」や 「Happy Time」銘の入った時計もこの類と思われます。

このような時計が販売されていた時代背景に簡単に触れてみたいと思います。
慶応2(1866)年5月13日に幕府がイギリス・フランス・アメリカ・オランダと調印した「改税約書」では時計の関税は5パーセントという 低率に定められました。明治30年前後には大阪時計製造と日本懐中時計および精工舎の国産懐中時計が産声をあげますが、 まだまだ生産は少量でこの頃の懐中時計の普及は舶来品の輸入によるものでした。
明治30年に関税定率法が国会を通過し明治32年に新関税率が適用されると時計の関税は一挙に25パーセント(金時計は30パーセント) に跳ね上がりましたが懐中時計の機械だけの関税は懐中時計の完成品と比較して低率におさえられました。 このため、機械と側を別々に輸入して国内で組み立てて舶来品として販売することが盛んになりました。
精工舎は服部時計店が貴金属商を兼ねていたこともあり、明治26年に工場を柳島に移転した直後から自社製側の生産に取り組み、 既に側の生産は軌道にのっていました。 しかし、懐中時計の機械のほうは生産技術に悪戦苦闘して収支つぐなわずといった状態で、懐中時計の完成品は初のTIMEKEEPERだけか、 あるいは第二のEXCELLENTが販売された頃で、まだ自社製完成品の生産数は少なく側による利益でようやく相殺して商売になっていたと 言われています。
精工舎側+舶来機械の組み合わせは、精工舎が懐中時計において掛時計や置時計のように一人立ちするまでの過渡期に 機械だけの輸入の関税が低率だったことが後押しして誕生した製品といえるのではないでしょうか?

参考文献 : 時計工業の発達

資料2 Happy Time銘 三雁印側

裏蓋内側の三雁印

資料提供:愛知県 Yさん

資料3 その他の商標入り

20型(外径50mm)

軍配(九百銀側)

資料提供:由さん

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