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金元社

1. 金元社

明治6年の改暦令により西洋式の時計を設置・所持する必要がでたため、掛・置時計の輸入量は飛躍的に増加していた。 このような中で明治8年(1875)に金子元助がつくった時辰儀製造「金元社」は、工場が現在の港区南麻布のあたりにあり、 後に水車を動力にして掛時計を製造したため「水車場製造掛時計」とも呼ばれていた。 このため、金元社が時計製造を企業化した最初であるとの見方がある。

金元社が製造した時計は実物の確認ができていないが、 当時の新聞広告を見ると明治14年の第二回内国勧業博覧会になってから、ようやく事業として安定したかのように見える。 実際に製造したのは掛時計と置時計のみと考えられ、懐中時計の製造にも意欲的であったが、当時の技術では国産化は到底無理だったと思われる。

新発明水車製造所 広告 時辰儀(とけい)

朝野新聞 明治14年6月15日

右は我が親友金子元助同竹次郎 塩谷俊雄の諸氏
愛国の精神より起り力を協せ志を同くし積年の
間幾多の難苦を忍び百折の不撓ます益諸用以て
〇く水車を以て時計を製造することを発明したり
画してこの時計たる〇も舶来の物品を用ひず徹頭
徹尾ようやく我が内国固有の物品のみを以て製出し
其製造の技巧にして且運動の爽快なる彼の舶載
の物品に堪らす則ち純然たる〇匠の一部分にし
て且幾分か国家に報ずる處ありと云ふも蓋し過言
にあらざるが如し 独価格の廉なる興に驚く
べし 巳に本年第二回の博覧会開場に際し〇第三
本館に陳列するの光栄を得たるを以て〇会一覧
の諸賢は明知せらるるなるべし 故に大方諸君の
〇〇を〇ふする層々なりといえども独り如何せん
該製造場たる府下の偏隅にあるを以て便宜なら
ざるを好しとせず之すなわち発売店の暖簾ある所以
なり 茲に?生今般右発明製造人の諸氏とはかり
其売捌方を引受汎く内外に販売し漸く以て盛大
に至らば〇〇〇は輸入を防ぐの一擔ともならん
か之に由て既に本年六月一日を卜し左のところに開業
を決て〇くは江湖の諸君〇方の遠近を問わず
物品の多少を論ぜず製造の純良なると価格の甚だ
廉なることを愛し陸続請求あらんことを敬白
一府下を始め各地方同業の諸君へは製造元の価格
を以て差し上げ可申し候事
一外枠の形体は御注文次第お好みに任せ製造可
仕候事
一金銀の懐中時計は追て製造に取り掛り可申候へ
ども当分の内は柱掛時計並に置時計のみ製造
可仕此段予て奉申上置候

東京日本橋室町一丁目五番地
発売元本店  内田 吉之輔

第二回内国勧業博覧会で進歩二等賞牌を受賞

金元社の広告

進歩二等賞碑下賜「水車場製造掛時計品々」
明治14年9月22日読売新聞

金元社は動力に水車を使っていたので水車場製造掛時計と呼ばれていた。

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