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天賞堂

1. 天賞堂 略歴

銀座の天賞堂といえば、明治大正昭和の三代にわたり、時計、貴金属、美術工芸品等の老舗として宮内庁御用を務め、 服部時計店とともに、その名を全国に轟かした有名店である。 また、明治前期にいち早くスイス製懐中時計の直輸入を企てた業界の先駆者でもあった。

創業者、江澤金五郎は嘉永5年上総国夷隅郡大多喜町の呉服雑貨商の4男の生まれで、明治11年27歳の金五郎は単身上京し、 日本橋区槍町で製本屋の2階を借りて「江澤書房」の看板を掲げて出版業を始めた。 翌年、弟富吉の出京を機会に、尾張町2丁目の店舗へ移転、新たに「天賞堂」の屋号を選んで印判業に転じた。

屋号は当時、ベストセラーとして人気のあったスマイルズ著、中村正直翻訳「西国立志伝編」の原序の中の 「・・・人は、成敗得失を使令し、己れの意に従はしむるの権なし、然れども勉強して已まざれば、天賞として、成就の賜を受くべし」の叙述によったものである。 金五郎は何によらず篆刻界の大家・名家の作品を陳列宣伝のうえ販売するという斬新な商法で一躍発展した。 その後銀座1丁目に支店を開設し、業務の拡張を計り、需要の増加してきた時計類に目を付け、 明治22年からスイス・シーベル・ブレンワルド商会の輸入による懐中時計の販売を始めた。 その後間もなくスイス・アメリカ製品の直輸入にも成功し東都時計業界の発展にも寄与し、また早い時代から新聞雑誌の広告宣伝に力を入れ、 次々と新機軸を生み出している。

長期無料修理や買い戻し制度は天賞堂が嚆矢であったが特に無料修理の開始に際し、 それまで預かっていた保険金を返済した事は天賞堂の信用を一躍高めたと言われている。

また、明治25年ころから時計及び付属品以外に貴金属、宝飾品、美術工芸品の制作販売にも力を入れ各種の博覧会や共進会で受賞して 日本の伝統美術の保存奨励にも貢献した。

しかし、金五郎は明治25年神奈川県大磯海岸で水禍にあい、45歳の若さにして惜しくも急逝。 嗣子増次郎は二代目金五郎を襲名し、叔父の富吉が後見し、その後も輸入品目を増やし、鉄砲、自転車、自動車、活動写真機、 畜音器など言うように飛躍した。 特に明治37年に米国コロンビア製蓄音器の東洋一手販売権を獲得して明治後期から大正の人気商品となった。 天賞堂で発行した明治44年6月の和楽レコード目録「美音の栞」記載の曲目だけでも三千種を超えている。 この邦楽平円盤レコードの製作販売は業界の嚆矢であり、日本の音楽の普及に大きく寄与した。

大正2年以降は、スイスのナルダン、ゼニット、チソット等の総代理店を引受、特に天賞堂のナルダンと名声を高めた。 また、三田の貴金属工場の制作による簪、宝石指輪は大正風俗の先端をいくものであった。

大正末から昭和初期は天賞堂の最盛期であり、天賞堂のスイス時計輸入高は全国の7割を占めていた。 大正12年9月、関東大震災にて銀座尾張町本店、日本橋、横浜両支店が類焼、三田四国町の工場に仮営業所を設けることになる。 しかし、大正13年1月には銀座本店が再建され、屋上正面に身丈一丈半をこえるメタリコン仕上げの平和の女神像(朝倉文夫作)が据えられて、 銀座の名物となる。

昭和初期の金融恐慌により天賞堂は事業縮小し昭和5年に組織を株式会社に改め小売専業になった。 やがて2代目江沢金五郎は退陣しその後、昭和7年新本秀吉の手に移り屋号を継承した。 昭和10年2月銀座本店から出火して全焼、明治以来繁栄を誇った銀座本店は閉鎖に至る。 戦中は統制経済下、通販や掛時計卸などを続けた。

戦後はいち早く復興し、昭和21年、銀座4町目の数寄屋橋通の焼け跡に新店舗を急増し営業を再開。 昭和26年には一階は時計、宝石、メガネ、二階を模型専門店に改めて今日の基礎を築いた。 戦後のHOゲージとして始まった鉄道模型は海外で名声を高め模型のロールスロイスと言われて世界中のマニアのあこがれの的である。 昭和14年6月に出版された「商道之先駆 - 天賞堂50年回顧、江澤富翁述」に江澤金五郎の弟、江澤富吉が詳述しているように 天賞堂には時代を先取した金五郎の精神が大きく開花しているようである。

参考文献

  1. 明治前期東京時計産業の功労者たち 平野光雄著
    昭和32年6月10日 同刊行会発行 非売品
  2. 「商道之先駆」江澤富翁述、天賞堂五十年回顧 著作兼発行者 江澤 謙二郎
    昭和14年6月30日 東京四海書房発行 非売品
  3. 広告で語る天賞堂と銀座の100年 株式会社天賞堂発行
    昭和54年11月25日
天賞堂引札 銅版、21.5x31.5cm
明治23年12月25日発行
東京市芝区櫻田本郷町三番地
発行所 金鱗堂
編集兼発行人 伊藤升次郎
印刷人 伊藤榮次郎

鉄道馬車が開通した明治19年頃の天賞堂初期の店頭の様子と定価表が書かれて興味深い。 店舗のショーウインドーは福地櫻痴の助言によって作られた。

銀座 天賞堂本店

大正15年3月改訂版、「天賞堂の時計」より
東京市京橋区尾張町二丁目
十六、十七、十八、十九番地

大阪心斎橋北詰 天賞堂大阪支店

昭和2年1月改定版、「天賞堂の時計」より

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