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大沢商会時計工場

1. 大沢商会時計工場の概略

創業者 大沢善助と大沢商会

大沢商会の開祖である大沢善助(安政元年-1854年生)は任侠大沢清八(会津子鉄の親分)の養子であったが、 分家して種々の事業を試み、幾多の困難の末実業家として成功し、京都府会議員となる。
琵琶湖疎水事業では、議員として主導的な役割を担い、後に京都電灯会社の社長を努めた。 明治23年には個人事業として時計製造会社を興している(これが大沢商会の創業とされる)。 明治24年には京都時計の合資会社への改組では、代表として名を連れているが、個人事業との兼ね合いを考え、 翌年には代表の座を譲っている。 京都時計が動力として電力を使用した背景には、大沢善助の疎水事業への関与が背景にあったと推測される(京都時計の項参照)。 また、この時期に名古屋の時計製造会社へも出資していたと記録に残っている。

善助の息子である大沢徳太郎(明治9年-1876年生)は、同志社の中等部に入学するも、4年で中退している。 その理由は体調を崩したとか、大沢の時計家業の不振が原因とも言われているが、次の経緯から、後者と思われる。 中途退学した徳太郎は名古屋の時計工場に見習いとして行き、1年で帰京している。見習いに行った先は善助の出資先と思われ、 帰京とともにその工場から撤退している(明治時計の項参照)。

帰京後17歳にして善助から時計工場の運営を引継ぎ、部品の製造からの一環生産を開始(明治26年)し、 従業員は100名程度となる。明治30年には、大沢商会を設立している。しかし、この工場は明治37年に火災で焼失した。

「商会」の名の通り、広く海外の輸入品を扱い、「ハイカラ館」として繁栄を極め、時計工場の焼失後は、 機械はアンソニア製を採用し、箱だけを国産品を使って時計の販売を行っている。

大沢家は同志社の新島襄と近隣の関係から、清八、善助と徳太郎は新島から洗礼を受け、 同志社の運営・経営に多大な功績を残している。徳太郎は貴族院議員に選出されると、事業を息子の大沢善夫に譲っており、 この善夫が京都の太秦にJOスタジオを設立した。これが日本のハリウッドと言われる太秦撮影所で、 後に善夫は東宝の社長に就任している。

大沢商会は、その後、自転車、自動車、カメラ等種々の物を扱いながら、 一時、会社更正法の適用も受けたが現在では大沢商会グループとして健在であり、時計ではスイスのゼニス社の代理店となっている。

大沢善助・徳太郎と大沢商会の略歴

以下は、「創業100年史・大沢商会」からの抜粋である。
大沢商会時計工場は、一貫製造メーカーではなく舶来機械を入れた自家製時計を製造した組立て会社として知られるが、 創業初期(明治26年から28年にかけて)は僅かな期間ではあるが、一貫製造メーカーとして活動した様子が窺える。
しかしながら、大沢商会の国産の機械は未確認で、工場の規模や動力、統計に出てこないところなど、 すべて自家製の時計や製造会社が本当に販売されたのか疑問が残る。

年 号 事 項
明治23年 5月 大沢商会時計工場開設(柱時計の製造に着手)
京都市下京区麩屋町通竹屋町下ル 大沢善助
-- 名古屋における時計製造事業に出資
明治24年 善助 京都電燈(株)取締役に就任
明治25年 1月9日 善助 京都電燈(株)社長に就任(昭和2年まで37年間社長を務めた)
-- 徳太郎(善助の長男) 同志社を退学し1年余り名古屋時計工場で経営と時計製造を学ぶ
9月15日 琵琶湖疎水を利用した水力発電の利用を目的として、京都時計製造(株)を設立、善助 社長に就任
明治26年 6月 大沢商会時計工場移転
京都市下京区寺町通丸太町下ル  電力1.5馬力 大沢徳太郎
名古屋で一般的だった"組立て方式"ではなく、部分品の製作から組立て・仕上げ・包装に至るまでを一貫して行う完全な 自家生産を目指し成績を上げた
6月 懐中時計の卸売り開始、京都、山陰、北陸方面へも出張販売を行った
6月 柱時計を初めて清国に輸出
明治27年 4月 寺町通三条上ル に営業所を開設
時計の他に、金庫、度量衡器の卸小売を手掛ける
明治28年 -- 第四回内国勧業博覧会を契機に米アンソニアと輸入契約を結ぶ
同社製の機械を多数買い付け自社製機械と比較、善助翁「日本品の尚遠く外国に及ばざるを感じ」、 以降は機械は輸入に頼り「外廓即箱その他」を製造する様、方向転換。
明治29年 3月 大沢商会 三条通小橋西入ル の地に本店を移転
様々な輸入商品を幅広く扱うようになり、大沢商会の基礎が出来上がる
明治37年 5月 大沢商会時計工場焼失
これを契機に時計製造は打ち切り、工場・営業所の二本立体制から販売と貿易を中心とする商社専業で挑む
-- 京都本店 舶来時計、自転車、雑貨の三部門の卸と小売に専念
時計、自転車は全国の同業者に出張販売
明治38年 -- 米アンソニアから輸入した掛時計ムーブメントに国産の外箱を組み合わせて販売

参考文献

  1. 大沢善助:「同志社時報」No.86、1989
  2. 大沢徳太郎:「同志社時報」No.6、1963
  3. 大沢商会:「創業100年史・大沢商会」1990

※ 大沢商会は経営危機を2度程経験しており、古時計に関しては資料も人も居ないので、 「創業100年史」より多くの情報は持っておられないとのことです。

明治44年9月発行 日本時計商工誌 より

店主 大沢徳太郎君
各国時計卸商大沢商店

調査・記事編集協力 : Y.Kさん

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