1. 栄計舎の概要
株式会社栄計舎は、大正14年8月18日に創業、掛時計を製造。 所在地は、当初は東京都荒川区南千住7-77 であったが、昭和11年以降に東京都江戸川区西瑞江4-14 に移転。 商標は「星にAK」のマークか、「EIKEISHA」あるいは稀に「EIKESHA」である。 活動期は大正末あるいは昭和初期から昭和30年代にかけてと思われる。
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昭和20〜30年代の資料から |
昭和12年業界マーク大鑑より |
所在地と歴代の状況
栄計舎の主な活動場所となった江戸川区西瑞江4-14 は、現在は環七通りと新大橋通りの交差点の北東側にあたる場所で 都営団地らしき建物が建っています。 当該地の戦前から都営団地の完成までを、時系列で確認すると以下の通りでした。
年 月 日 | 状 況 |
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1936.06.11 | 何もなく田んぼだけが広がっている |
1944.10.16 | 栄計舎の社屋と工場ができている(工場の棟が少なく中庭になっている) |
1947.07.24 | 中庭を整地し始めているような様子がある |
1947.09.08 | 同上、整地が進んでいるように見える |
1949.03.03 | 増築完成、栄計舎の社屋工場そのままの姿が映っている(これより前には新中川・環七通りはない) |
1957.03.29 | 周囲に建売住宅が建ち並び始め、新中川の掘削工事が始まっている |
1963.06.26 | 新中川が完成、建売住宅が増え、葛西工業高校が建設されている(ここまで栄計舎の社屋工場はそのまま映っている) |
1966.06.29 | 栄計舎が完全に解体され、更地となっている |
1966.08.24 | 跡地の造成が進んでいるように見える |
参考サイト:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの写真
終焉の時期について
「日本時計協会30年史」では栄計舎の会員期間が1964年までとなっています。 空中写真を調べた結果では、栄計舎の社屋は1966年になると確認できずまた土地は都有地となったことから 東京の地での栄計舎の活動は1965〜1966年頃が最後と考えられます。
その後については、 時計事典(3版1968年版)巻末の時計業界3年小史(1964-1966)に 「1966年(昭和41年) 3月16日 掛時計メーカー栄計舎は山梨工場完成で披露。」 と記載があり、工場を山梨に移して事業を継続したことが確認できました。 しかし、この山梨工場は社長の体調悪化により長くは続かず、1970年(昭和45年)に工場を閉めています。(工場閉鎖時期は伊藤社長のご令孫様からの情報)
「星にAK」の商標は 株式会社 エイケイ舎 に受け継がれています。