1. 岐阜時計 概略
岐阜時計は、明治30年8月に大洞弥兵衛が資本金1万5千円で創立し、岐阜市小熊町の工場に工員25人が働いていた
一貫生産工場である。
明治33年頃には経営不振に見舞われ35年頃閉鎖されたようだが、
3〜5年間程の生産にしては精工舎石原町(生産一年余)に比べても著しく遺存数が少ない。
戸田さんの著書「アンティーク掛時計」に掲載の時計は本四つ丸、先日岐阜県内で発見されたのは八角尾長、
そして今回は張四ツ丸と各種のケースを作っていたことから、今後は更なる発見が期待される。
2. 金縁張四ツ丸
岐阜時計は今まで4台しか発見されておらず、平成15年3月12日の岐阜新聞にて岐阜県内で初めて発見された事が報じられていました。 そのため幻の時計などと言われていましたが、ここに新たに6台目、7台目の岐阜時計が発見されました。 どうやら認知度の低さがその発見をより困難にしてるのではないでしょうか? ここで詳細を見てください。
資料 1
メーカー | 製造年代 | 大きさ | 仕様・備考 |
---|---|---|---|
岐阜時計製造株式会社 (岐阜市小熊町) |
明治30年〜33年 |
文字板八吋 全高49cm |
八日持 打方付 ペイント文字板(オリジナルでない) |
この、岐阜時計は8吋金縁張四ツ丸、全長49cm、 黒塗りですが本来は金四ツ丸だったと思われます。 文字板のみオリジナルでは有りません。
ケースは小さい丸の横に飛び出しているえらが特徴的で同様なケースは他でもみられます。針もオリジナルのようです。 ボン針台(鐘台座)は鋳物製で本来GIFU CLOCK & Coと浮き出し文字が有るものが、これには有りません。 特に替わった様子も無いのでこういう無名のものも有ったのでしょう。 機械は刻印が無く、名古屋の技術が移入されているので、名古屋ものの機械に類似しています。 鵜飼の鵜が鮎を銜えた図柄の振り子室ラベルはしっかり残っています。
機械と振子
機械は刻印ナシ |
振り子 |
資料 2
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文字板に補修用紙文字板が上張りされている以外は、当時の姿をよく保った個体です。 背板に「明治25年頃」と購入時期を示す貴重な書き込みがあります。 岐阜時計の創立は明治30年です。明治25年は有り得ませんので、後年に言い伝えをもとに書き込みされたものと思われます。
資料提供:きもとさん
鵜飼のラベル
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